下町の顔 | FACE |
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★ではちょっと『花水木街角誰でもアーティスト』のことを訊きたいのですが、どうしてはじめようと思ったのですか? かかしは歩道の車道側に並べるでしょ。お客さんはお店とは反対のほうを見て歩くことになりますね。だから今度はお店の中を見せたいと思ったからです。お店の中に応募者の作品を展示するんですよ。 うちなんかもそうだけどガラスなんか汚れてるでしょ。そうすると磨こうかという気持ちがでるじゃない。商店街の意識も少し変わってくるのではないかなぁと。 ★これも発案者は分部さんですよね。 そうなってますね。あまり他に相談しないで動いちゃうからね(笑)。 ★『花水木……』ってなんでつけたんですか? 商店街の街路樹が花水木ですからね。 ここは一丁目から順番に街路樹が植わっていったんですよ。一丁目はケヤキね。外から来た人にはいい感じですけど、あまり繁って夕方から小暗いでしょ。それで二丁目は当時まだ知られていなかった花水木を、珍しさもあってその翌年街路樹として植えたんです。二丁目の花水木に倣って、結局三丁目も四丁目も花水木。 そして花水木は桜の後に咲くんですが、その開花に合わせてイベントを開催しようということで『花水木街角誰でもアーティスト』ってつけたんですよ。
点数は増えてないけどレベルアップはしているかな。 ★商店街の人が作品の話で親しくなることもあります? あるある。うちの前の八百屋さんに、亀有の作家さんが作品を並べたの。その人は作品として並べるよりも商品棚に並べて欲しいというのね。例えばミカン、リンゴの横に並べる。そうすると面白いでしょ。日本農業新聞の一面に出ましたよ。 ★そういう連帯感で、うちの町だから大事にしてこうとか他のことでも盛り上がるようなことがありますか? そこまではまだいってないねぇ。でも、何かやればいいんだという意識は出てきたかな。 ★この手のアイディアというのは分部さん一人で動いているという印象があるんですが・・・ そのあたりでは余りメインになりたくないですよね。自分が中心になっているつもりは毛頭ない。確かにこれはどう?って言って、みんなに勧めて強引にやってしまうのはそうかもしれないけど、一人では出来ないから。相当な協力者があって初めて出来るわけですから。 ★普段からこのような発想が?どこから出てくるんですか? ないよ。そんなもの。切羽詰ると出て来るんだよ(笑)。 2.時流に添える改革を…… ★商店街の話を少し。景気はどうですか? 見た通りよくないですね。江戸資料館があるけど、あそこは観光客がメインだから、そういう構えの人にしかお金は落ちない。でもね、そういう構えをみせている深川宿やみやげもの屋の高橋さんなんかはものすごく努力をしているわけでしょ。頭が下がる思いですよ。 ★商店街のほうの人も意識改革をしなければいけないってことでしょうかね? 時流はどんどん変わっていくからね。今度だって同潤会の跡地の高層ビルにマルエツが出来るでしょ。商店街は脅威を感じているんだけど、じゃそれだから何をしたらいいかということは何も考えていないわけですよ。この商店街を通り道にしなければいけないということは言っているんですよ。 たとえば、半蔵門線が出来たときに東京都現代美術館の案内板が清洲橋通りをまっすぐにいくようにって書いてあったんですね。それを現代美術館の館長さんに掛け合って、商店街を通ってもらえるように看板を書き変えてもいいですかと言ったら、いいというんで、右に曲がって商店街を通っていくように作り直したんですよ。今度の大型店の出店でも何か行動をしないとね。 ★他にはここの商店街が抱えている問題点というのはありますか? この辺りは、高層ビルが何本も建設中なので人口が増える予定なんですね。それをいかに取り込むかということですね。新住人が初めて商店街に足を踏み入れたときに、ああいいものがないと思われたらもうそれでおしまいですよ。通り道にね、何だかとにかくちょっと変わった商店街があるというだけでもいいんですよ。 ★集客ですね。そういう意味ではあの江戸資料館前のほうのケヤキは風情がありますが、その先に商店街があるというイメージはないですね。 私たちが知らない町に行くと「商店街」という看板があるでしょ。そうするとああこの奥に商店街があるんだなぁってまず思う。でもここは江戸資料館が終わった段階でそう思えない。そうあのケヤキのある信号からこちら側に渡らせるのが非常に大変。お互いの風景があわない。 資料館の向うに行って花水木を2.3本植えて、こちら側のほうにケヤキを植えるかして景色でのつながりを良くする、あとは食べるところなんかがきちんと清澄通りから見えるところにあるといいなぁと思いますね。 3.火星人のようだって ★分部さんは生まれも育ちもここですか? 震災の前は墨田区千歳町にいたんですよ。親が縫製業やってましたね。戦後、兄貴が三菱商事に勤めていてそこから紙製品が入ったんで私は文房具屋をやるようになりました。
昔は川向こうって言われたでしょ。蔑視だと思いましたね。今は全く感じないけど。川向こうの対岸が下町じゃなくて、皇居からこっちが下町でしょ。そういう意識はありましたよね。下町に対するプライドかもしれない。 昔は台風があるたびに友達がどうぉって訊いてくる。確かに水も出ましたよね。浸水がありました。でもそう言っている友達は港区だから大雨だと下水がすぐに上がっちゃって。なんだって言い返してやる。水害となるとすぐに江東区でしょ。 今、江東区はね地下鉄で二駅乗れば都心でしょ。生半可なところより都心に近いですよ。 ★昔と何か変わったことありますか? 便利になったことは確かですね。悪い意味ではどうなんでしょうね。昔の古い家だと二世帯はいられない。昔の住環境だったらしょうがないけど今の若い人はね。この辺は年寄りが多い。それがそろそろ入れ替わる時期かな。家を空けておいてももったいないから、若い人が戻ってきてまたスタートということかな。新しい住民より、そういうつながりで戻ってきた人のほうが地元には強いわけですよ。 あと、今の人の資質というものが我々の世代と違うわけだから、その若い人の気持ちを取り込むことをもっと真剣にやらなければ。商店街の活動に参加してもらう。学生さんにも参加してもらう。だけどそれを許すという人はまだ商店街には少ないね。 ★頭が固いんですね。またそれがいいところでもあるんでしょうけどね。 伝統でもなければなんでもないよ。時流に乗れないだけでしょ。時流は個人で変えられないから、それを意固地になって守っていいのは落語家ぐらいのもん。その中を商売しながら生きていくには、自分がいやでも表面上は乗っていかなければね。 ★そうそう、恒例で訊いているのですが、どんなお子さんでしたか? 火星人のようだといわれましたね。どこか変だったんでしょうね(笑)。発想が違ったんでしょうかね。友達は少なくはないけど中心的ではなくおとなしかったですよ。 ★では最後の質問ですが、座右の銘を。 そうだね。様々な人に助けられているから『感謝』しかないね。だってさぁ完璧なことなんて出来ないでしょ。ただ生きているだけだって随分と他人に迷惑かけているんだと思うよ。それを許すという感覚がなければ自分はないですよ。 今年、『花水木街角誰でもアーティスト』の期間に商店街を歩きました。店内にある作品を探しながら歩くのはすごく楽しかった記憶があります。街角にもちょっとした作品が置いてあり、これは何?としばらく考えてから、なぁんだぁそうか!と手をたたいて笑えるネーミングにおける一発芸!のような楽しさもありました。今月はかかしコンクールがあります。実りと芸術を求めて商店街を歩いてみてはいかがでしょうか。アッそうそう、食欲もお忘れなく。意外なお店もありますよ。お楽しみに。 |
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※2004年8月収録 |
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