下町の顔 | FACE |
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第23回 『"介護"の生みの親』 |
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フットマーク株式会社社長 磯部 成文さん |
京葉道路と首都高速7号小松川線の間に馬車どおりが一本通っています。緑小学校に通うこどもたちがよく通ります。この一角にあるフットマークの会社の目印は青地に白抜きの「足のマーク」の看板です。二階建の社屋のかなり上のほうにありますが、笑みがこぼれるような、とても愛らしいマークです。玄関に磯部成文さんが待っていてくださいました。じきじきのお迎えに恐縮しながら取材に入りました。 1.介護用品と水泳用品は一つのくくりになりつつある ★「フットマーク」という会社名の由来はなんですか? 「足あと」なんですよ。英語でフットマークですね。 私の会社は父親が創業者で、1946年にオムツカバーの製造業から始まったんです。布オムツの時代ですね。当時は赤ん坊が生まれてくると、間違えないようにって、足の裏に墨を塗って名前を書いていたんですね。学生の頃から仕事を手伝っていた僕は、名前を書かれた赤ん坊の足をたくさん見ていたんです。ですから、自分が仕事をやりだしたら、その可愛らしい赤ん坊の足の裏をマークにしようと決めていました。 ノートにいたずら書きするように、個人のマークに使いながら、学生時代に商標登録をしておきました。 ★フットマークさんというと「水着」というイメージですけどね。オムツカバーから水着への経緯はどのようなものでしたか? 夏場になるとオムツカバーは売上が落ちてしまうんです。蒸れるからあまりさせたくないし、洗濯してもすぐ乾いてしまうので需要が減るんです。夏場に売れるものはないかと。で、水泳帽子を作ったんです。 ★全然関係のない分野に思えますね。 用途としてはね(笑)。でも関係はあるんですよ。 オムツカバーはナイロンと塩化ビニールを一緒に縫う技術が必要なんです。ナイロンはミシンが滑りやすいし、塩化ビニールは滑りづらい。滑りいいものと滑りにくいものを一度に縫ってしまうというのが、オムツカバーの縫製技術なんですよ。それとナイロンという合成繊維が世の中に出始めた頃でもありましたから、その需要先で、しかも夏場に売れるものは何かと探して、それで水泳帽を作ることになったんです。 次にはスイミングバック。水着も作って、それからスイムグラスという二眼の水中メガネも作りました。当時は海女さんが使う一つ目のものしかなかったんですからね。うちが学校用にはじめて作ったんですね。それから着替え用の巻きタオルの商品化……そんな風に水着関連のものが増えていきました。 ★水泳帽に関してはフットマークさんがシェア1位と聞いていますが・・・ 50パーセント以上ありますかね。二人に一人はってことになりますね。
昭和40年代後半の頃の話ですが、流通は商習慣でもう決められていたんですね。メーカーは問屋、問屋は小売店、小売店はユーザーに。それを破ると村八分になりましたね。 流通の商習慣を守りながらユーザーの人に直接うちの商品をPRするにはどうしたらいいかと、考えました。まだダイレクトメールという言葉もなかった時代でしたが、学校へ直接PRをしましたね。郵便を手書きで、うちの社員みんなで。 学校側は、実は東京のこういう会社から水泳帽とか水着の案内が来ているけれどもうちとしてはこれを使いたいんだけどと、地元の業者さんに言う。業者さんが問屋さんに言う。そういうふうにしてネットワークを作っていきましたね。 ★ダイレクトメールは今でこそですが、当時としては画期的なことですよね。 やはり何とかしたいということが基本にありますね。今でもいろんなこと考えるんですよ。たとえばヘリコプターでビラをまけたらいいだろうなぁとかね(笑)。 ★はははは、いいですね。水着関連以外では、その後は介護用品も手がけてますよね。それはどうしてですか? 当時うちの近所のお嫁さんがこっそり来社されて「うちのおじいちゃんが最近お漏らしをするようになってしまったんだけど、磯部さんのところで赤ちゃんのオムツカバーを作っているのなら、大きなオムツカバーも作ってもらえませんか」って言われたんです。 当時は具合の悪いことは世間に話をすることは恥ずかしいという時代だったんですね。言うに言えないだけで全国に寝たきりの人は多いだろうなぁって、そのとき思いました。それで大人用のオムツカバーを作って売り始めたんですよ。 でもイメージがね、何かうまくいかない。大人用、病人用、医療用、って名前が変遷していきましたね。制作して10年後くらいに"介護オムツカバー"としたんですね。 ★介護って昔からあった単語なんですか? 辞書にも当時は載ってないですよ。僕が創った造語ですから。 ★そうだったんですか。磯部さんが創られた言葉が国語辞典に載るようになったんですね。介護保険とか介護ショップとか今では当たり前に使われていますよね。 いろいろなところからこの名前を使わせてくださいってお願いが来ましたね。「介護」は商標登録をされているものですから、無料で使えないでしょうからって。でもこの言葉についてはどうぞ無料で使ってくださいって僕は言っています。 最近は介護用品と水泳用品は一つのくくりになりつつありますね。水中での動きやすさを利用してのリハビリですね。だから水着という概念も違ってきました。水の中で運動しやすい、おしゃれなお洋服ということですね。 ただね、プールというのはものすごく敷居が高いところなんですよ。わざわざ一度裸にならなければいけないですからね。めんどうくさいですよね。着づらいし。脱ぎづらいし。だから前ファスナーとか、セパレーツタイプで脱ぎやすくとか、中高年の方の肌の露出具合を考えて、袖をつけたりとか工夫をしてますね。それから温泉・スパ施設で着られるようなスパウエアとかね。まだまだやることはいっぱいあります。
★こういう職種って組合はあるんですか? ないですね。あったとしても入らない(笑)。団体で何かやるのは好きじゃないですね。 ★異端児ですね。 変わり者ですから(笑)。 ★異端と言えば、アクアスーツとか浮きうき水着とかいろいろなことを考えていらっしゃいますよね。そういう発想はどこから出てくるんですか? やはりお客さんの動きからですね。お客さんが現場で教えてくれるんですね。 ★消費者が求めているものへの着眼点ということですね。 僕は一分の一の視点ということをよく言います。自分の目の前にいるその人の要望を謙虚に丁寧に聞いてうちで作らせていただく。そうすればそこに必ず商品開発の元があると思っているんですよ。マーケティングはしないんです。 5,6年前も70代の男性がここに来て「私の水着を作ってください」と言うのですよ。交通事故にあわれて、お医者さんからプールの運動を薦められたんだけど、どこも断られてしまう、刺青があったんですね。一人の事情でしたけど、うちは作りましたね。 ★逆に失敗したことはありますか? ああ、そんなのいっぱいありますよ。見込み違い。(笑)。でも僕はそれでいいと思っている。だからうちの水泳介護用品なんか2万種類くらいありますよ。 |
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