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下町の顔
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第22回
『呼び出し 甚句 土俵に花添えて』

<プロフィール>
昭和21年 二所ノ関部屋に入門 呼び出しとなる。太鼓、土俵作りにもかかわる。
昭和42年「一番太鼓」「跳ね太鼓」NHKにて収録。大相撲実況中継で現在も使用。
平成6年(財)日本相撲協会甚句会設立。会長を務める。昭和5年生まれ。東京都出身。
(財)日本相撲甚句会会長
福田 永昌さん

どっしりとした構えの国技館。その前には色とりどりの力士の旗がはためいています。場所中ともなると、取り組みを終えたお相撲さんと行きあう事もあります。そんなはなやかな国技館ですが、JRの線路をくぐって反対側に出ると一転して下町の情景になります。ガード下の狭い間口の飲食店に響く客たちの笑い声、両国駅に到着する列車を知らせるベルやアナウンス音がそれにせわしなくかぶります。今日はそんな下町の一角に位置する、相撲甚句の会をお訪ねします。


1.通う千鳥もなつかしき、湯の香もけむる別府町……
★相撲甚句の歴史からお尋ねします。
まあ、昔のことはいい加減な部分もありますけど、多分、享保年間からでは?と言われていますね。260年の歴史ということでしょうか。

★相撲がなければ甚句はないですからね。
相撲甚句はね。相撲は神代の時代でしょ。

★甚句自体の歴史となるとどうなのでしょうね。
発祥は享保の末ということですが。甚句そのものにはいろいろな説がありますよ。新潟の甚九って人がはやらせたという説。長岡甚句という説。それから神の句という説。諸説いろいろ。甚句がはやり始めたころに相撲甚句も地方巡業なんかではやり始めたといいますね。

★歌はどんな感じなんですか?
長いのと短いのと有るんですが、短いのが昔のだろうと言われていますね。七七七七と引っ張っていくのね。現在は枕歌、一番初めに歌う歌として残っていますよ。私が相撲業界に入った頃は「揃った揃った相撲取り衆が、稲の出穂よりなお良く揃った」って歌ってましたね。それから「さらばここいらへんで、歌の節を変えていつも変わらぬ相撲取り甚句」とやるんです。そしてそのあと本歌に入っていくんです。大体3分半の物語です。最初から最後までを聴かないと分からないですね。戦後は名所甚句を手がけるようになったんです。昭和30年頃ね。題名がなかったんで私が「名所甚句」と名づけたんですけど。それから名所甚句として知られるようになったんですね。

★はじめの名所甚句はどんないきさつでしたか?
昭和30年代に入って九州場所で全勝優勝した玉の海が大分県の出身で、九州場所が始まる前に「これから巡業に行くんだけど、大分県の名所を言うから作ってみないか」と頼まれたのが始まりでしたね。「通う千鳥もなつかしき、湯の香もけむる別府町……」ってね。最後に「大分県児の粋を見よ、すもうは無敵の双葉山、技で豪快玉の海」ってね。もう会場は沸きますよ。

★それから各地のを作っていったんですね。
そうですよ。土地の人は喜びますよ。わぁー!ってね。相撲部屋のほうにも、どの部屋関係なく、ちょっと歌わないかって渡すんです。

★歌詞をもらえば歌えるものなのですか?
稽古すればね。甚句は基本はあるけどね。人によってあげるところあげたり、下げるところ下げたりで特徴を出すんですけど、基本的には一緒ですね。

相撲甚句の全国大会も・・・
★こういう会の人は別ですが、基本的にはお相撲さんしか歌わないですよね。
そうですね。

★お相撲さんって、歌が上手ですね。
そうです。結局タニマチに呼ばれていろいろなところに連れて行かれるから、結構うまくなってしまう。昔はお座敷が多かったからね。芸者さんたちが二上がりで歌っている相撲甚句というのもあるんですが、お互いに交流があったということですよね。

★福田さんも歌うんですか?
いや私は作るほうですね。でも歌えないと作れないですから歌えますよ。ただ自分で作って自分で歌うと歌いやすく作っちゃう。自分が一歩離れてお客さんの立場にならないといい甚句はできません。

★現在、何曲くらいあるのですか?
頼まれると作るから勘定しきれないです。結婚、昇進、部屋創立、何十周年、いっぱいありますね。特にこちらでは保存してないからねぇ。それに私以外でも歌っていたら作りたくなるから、作っている人はいますよ。作ったら見せて欲しいですね。そうすると直してあげられるからね。ひょっとして外れているところなんてね(笑)。まあかまわないんですけどね。

★甚句の世界は師弟関係ですか?
いや、会長、会員関係です。

★ここの甚句の会に全ての甚句が集まってくるのですか?
そうとは言い切れませんけどね。大会をやっていますから集まってはきますね。今年も4月24日にそこの江戸東京博物館で全国大会をやりました。40団体が参加でした。

★保存していくお考えはありますか?
国技大相撲に伝わった伝統文化ですからね。何とか保存をと思ってますが。お相撲を辞めたあと相撲甚句は結構役に立つから、それを教えられる機関を協会のほうで作ってもらいたいと言ったら、「相撲取りは歌を習うと強くならん。我々は強いお相撲さんを土俵に送り出して、いいお相撲を見せるのが本意。歌はお前に任せるからうまくやれ」ってね(笑)。黙認になった。しからばね。外堀を埋めよう、って(笑)。地方巡業歩きながら、歌は好きですか。歌ってください。グループを作ってくださいって。

相撲に関係ない人にも作ります
★相撲協会から承認はされていないのですね(笑)。
そう、黙認。

★それで、巡業に行って、好きですか好きですかと訊きまわって、どうされたんですか?
好きだったらグループ作ってください。それで半纏作って、我々が地方巡業に行ったら列車のホームに並んで出迎えてくださいと。粋でしょ。

★歌われるということは著作権とか印税とかあるんですか?
別にないですね。カセットを作る場合は一時金ですね。後はいくら売ってもいいと。だからレコード会社がジャケットと値段だけ取り替えて昔のを作り変えていますけど(笑)、文句は言えない。著作権は取っていないから。

★相撲協会からは黙認ということですから悪い関係ではないと思うのですが、相撲業界ってしきたりが多いでしょ。協会の中で相撲甚句が置かれている立場はどうなっているんですか?
いやぁいい加減ですよ(笑)。大会やります、後援してください、全部Okです。これが錦の御旗。いわば外郭団体ということですかね。

★現在、相撲甚句を習いたい人、弟子入りした人はいますか?
いますよ。結構電話もかかってきます。

★そうですか。ところで甚句は相撲に関係ない人にも作るんですか?
作りますよ。会社や学校の創立を相撲甚句で祝ってくださいって。昔で言えば万博のときに地鎮祭で横綱が土俵入りをした。そのときも甚句歌いましたね。

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