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第21回
『縫製業界の特許王』

<プロフィール>
昭和4年生まれ。新潟県出身。14歳で軍需工場へ行くため上京する。20歳でミシン業界に入り、25歳で(有)堀ミシン商会を設立する。多くの特許・実用新案を取得する。
一級縫製機械整備技能士。平成14年度江東区優秀技能者表彰受賞。平成15年度東京都優秀技能者知事賞受賞。趣味ゴルフ。
有限会社堀ミシン商会 社長
堀 正之さん

ミシン……現在の60代以上の女性は嫁入り道具の一つに必ずミシンを持ってきました。
部屋の隅に家具の一部として置かれて、それは年中活用されていました。が、今ではそんな家庭もめずらしくなりました。今日はミシンの改良に50年携わってこられて、各種の特許も取得されている堀正之さんをお訪ねします。


1.ミシン改造はコピーの歴史
★まずはじめに、ミシンの歴史を教えてください。
あまり詳しくは分かりませんが、1700年代半ばにドイツで作られたと聞いていますね。
ミシンはまさしくコピー、改良の歴史ですからね。イギリス人のウイルソン・シンガーという人がアメリカに行って、ミシンを作ったのは1800年代の終わりごろ。作ったといっても改良改良という進化ですね。縫われるほうの素材も変わってくれば作業工程も変わってくる。それにあわせてミシンも改良されていったという歴史ですね。

改造中の製品
★ミシンは日本に入ってきたのはいつ頃ですか?
明治の初め頃に「西洋新式縫製機械」なんて名前で出たということは聞いたことがありますね。まあ一般の縫製部門や家庭の中に入ってきたのはおそらくは明治の後半ころからではないでしょうか。

★今、ミシンというと、ぱっと頭に浮かぶのはジューキとかブラザー、ジャノメですよね。大手メーカーというとその3社だけですか?
今の国内のメーカーとしたらそうですね。世界的に見たら日本のメーカーの歴史は浅いんですよ。いわゆる外国のコピーで始まっていますから。私たちから見たら世界的に出ているのはシンガーですね。
シンガーは廃業しちゃったから名前だけですけどね。

★そうすると私が聞いたことのあるような大きな会社から、実はたくさんあるということですね。
どちらかというとうちは特殊ですね。縫製工場自体がお客さんの層だったものですから、そこから頼まれて部品の改造を手がけたということですね。

★縫製工場ってこの下町もほうにはたくさんあるんですよね。
でも今は少なくなりましたよ。大手といったらオンワードなんかありますが、中国での縫製にとって変わられています。安く物を売らなければいけない時代に入ってますから、アパレル・弱電関係など賃金の安いところにどんどん行ってしまいますね。日本の縫製工場は仕事がなくなってしまって、廃業に追い込まれるわけですよ。

★廃業になるということは堀さんのような会社も一緒に廃業になるのですか?
業者自身の廃業もありますが、相手のお客さんがなくなっているからお互いに淘汰されていくということでしょうかね。私がこの道に入ったときは300何軒かあったと聞いていますよ、東京で。でも今は組合などもどんどん減ってしまって半分くらいになってしまったんじゃないかな。

★ところで、このお仕事を始められたきっかけはなんですか?
体も小さかったから技術者になりたい思いはありましたが、当時は就職難でしたから衣食住につながるようなものであればということでしたけど。たまたまね、運が良かったんです。それが一番大きかったですね。

★手先の器用さが必要ですよね。ミシンのパーツの改良というのは最初から部品も全部作るのですか?
試作はしますけどね。商品となれば専門の方がパーツをきちんとつくりますね。

★そうすると、堀さんは製造業というよりは、発明家に近いということになりますかね。特許又は実用新案は何点くらいありますか?
サライミシンとはね・・・
記憶では12、3点ではないでしょうか。ただ、新しいものができてもまたしばらくすると今度はこういうものがいいんじゃないかと、仕事も作業内容もどんどん変化していいきますからね。

★特に印象深い特許というのはありますか?
背広のフロントを縫う場合、製品を良く見せるために、縫ってからハサミで切りおとさなければならない作業があるんですね。工程にすると3、4工程。30年前くらいですが、これを改良できないかと言われて、私は無理だと頭から否定をしていたんですが、たまたまね、ある拍子に自分でいじっているうちに、こうできないものかと思ったらできたんです。サライミシンって言います。とにかく良く自分でもできたなと、思ってますよ。

★ミシンで縫いながらそれを切るというのがサライミシンですか?
上から何ミリかのところにメスをつけていてね。二枚重ねて縫っていって途中でカットするんですね。段差がついていてカットが同時にできるようにしたんです。

★それはすごいですね。
手作業だったときは、朝になるとね、職人さんが、ちょっと調子が悪いので休ませてくださいって言ってしまうくらい、切るのが大変だったんですよ。

★工程が簡略化できる特許だったんですね。
そうです。パテントも切れてしまいましたから、コピーもできてしまっていますけど、未だにぽつぽつと売れてますね。

★特許ではあまり儲かっていないですか?
うんまあ、けっこうな数が出ましたから、特許だけでいい時代もありましたよ。日本経済がうなぎのぼりになっている時代にぶつかったということもあるのですけどね。半年くらい先の受注までびっしり詰まっていて、間に合せられない。もっとも税金にも相当持っていかれましたから儲かったばかりではありませんけどね(笑)。経済がうなぎ昇りのときはアパレル関係にしても設備投資をどんどんする。北海道だ九州だって、山の中にまで工場を建てる。
でも結局最後は伸びきってしまって、仕事がなくなる惨憺たる状況になってしまったんですね。

★あっそうそう、テーブルなどの実用新案特許もあるそうですね。
テーブルはね、たまたま縫製工場のほうでこんなの作れませんかって言われて。私たちは洋服のことは分かりませんからね。お客さんにも当たったんですね。こうだああだと手をとって教えてもらって。なるほどそういうものかって。じゃぁこう作ろうかって。

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