下町の顔 | FACE |
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★ところで業界としての景気はいかがですか? 他と一緒で悪いですね。昔は不景気のときは露店商は売れていたんですね。縁日では安く物を売ったんですよ。古着屋さんとかね。普通のお店に行くよりは古着でもいいから露店で買おうと。今は古着屋さん自体があまり見当たりませんけどね。
悪いとかいいとかっていうんじゃなくて、ある程度上になればありますよ。人間関係としてね。我々の業界の中でもそちらのほうに近づいてしまうような人もいますよ。でも露店商は基本的に仕入れをして売ってという商売ですから、その商売を張る場所で何かあれば、昔はけんかなんかを収めるのにお付き合いが生じたということもありますよね。でも今は警察がすぐ来ますからね。ただ夜店に関してその関連の人が商売をすると言って、無理やり入ってきたらね、それは言いますよ。露店はテキヤの親分さんたちが仕切るところですから。 ★先ほど景気の話がありましたが、不景気ですから露天商さんをやる人の動向も変化していますか? 昔に比べたらちょっと減ってますけど、露天商は結構とっつきやすい商売なんですよね。資本が何百万もいるわけじゃなくて、例えば一万円あれば商売できるわけですよ。とっつきやすいですけど、やり始めた後の我慢が大変なんですよ。途中で雨に降られたら、こんなみすぼらしい商売は無いですからね。繊維会社が潰れたからこのタオルを売ってみたいとか、人は良く訪ねてくるんですが、辛抱できなくてやめちゃってますね。人の出入りは多いですよ。露天商たって生易しいものではないです。失業した人が結構来ますね。大変だよって言い聞かせて、一応面倒は見るんですがね。 ★食いつぶした人も来るんですか どうやって面倒見るんですか? 月に2人は来ますよ。子連れなんかもね。信頼しないといけないから品物や、おつり銭渡すでしょ。売れ出すと一月位して一番売れる日に逃げちゃう。ある程度信用できればアパートを借りて、と。今は4人の面倒を見ています。 2.雨が降ったら・・・ ★大変な人間模様ですね。露天商さんって一応何でも売るんでしょうけど、菱沼さんご自身は、売るのに得意なもの不得意なものというのがあるんですか? 我々が一人前になるのには綿菓子もできなければいけないし、風船も膨らませなければいけないですよ。水風船などもね。我々の時代は色々やらなければ食べていかれなかったですからね。 得意なもの……う〜ん。一応何でもやりますけど、たこ焼きはちょっとかなぁ……。めんどくさいからね(笑)。お好み焼きのほうが簡単じゃない。たこ焼きは同じ300円でも10個廻さなければいけない。たこ焼きはどうも苦手。でも、忙しいときは手伝いますけどね。 ★富岡八幡様の骨董市も仕切っておられるそうですが、その話を少し。何年くらいになりますか? 13年くらい前からですかね。ほとんどタッチはしていないです。骨董市は楽市という組合が出しています。テレビ番組の鑑定団人気の影響ですかね。骨董屋さんは市でお客さんをつかめばいいって。その人がいつか10万、20万のものをポーンと買ってくれるからって。出してても売れなくてもいいというところは、露天商の団体とはまるっきり違いますね。神社仏閣に出す場合は昔からのちょっとしたしきたりがあったりするんですが、我々テキヤが優先という昔からの決まりでね。で、一応出店するなら菱沼さんに断ってくれっていうことで管理はしていないけど、縁日で無い日にやってもらっています。 ★昔からのちょっとしたしきたりってなんですか? 我々露店商は本通りで店を出しますね。神社には参道がありますでしょ。そこに入れるのは三寸組合というのと古店の団体なんです。大岡越前から「あなたたちは参道の石畳から三寸下がって店を張りなさい」と言われているという伝えもあって。格があるんですね。そういう人は転びというのですが、どこにいってもいいと。固定していない。だから参道につけている人は古い人が多いですよ。
★昔からこの高橋に住んでいらしたんですか? うちは花又という団体で17代目になりますけどね。父親は栃木、母親は愛知県豊橋市出身で、ここに来たのは昭和21年の秋です。花又の親分が重野さんと言いまして、うちの祖父はそこの子分に入った訳ですね。うちの父親は慶応大学を出ていますが、大学の学生が集まるところで、万年筆を売りに来ているテキヤが、啖呵売、いわゆる口上でものを売るのを見ていて面白かったと。昭和7年とか8年とかの頃かな。そんな話を聞かされたことがありますね。 ★菱沼さんの下町感は? 隣近所の付き合いが強いことではないかと思いますね。旅行のお土産のやりとりとかね。あと人情かな。でもこれはある人とない人といるかな(笑)。頼ってきた人を面倒を見てやる、面倒見の良さはありますよ。確かに。 ★新しく移り住んできた人は親子何代なんて無いと思うのですが、そういう人が増えてきた下町でも人情とかはまだありますか? 夏の納涼盆踊り大会を団地の町会でやるんだけど、そういう中からとか、下町で買い物を日々してとか、要するに住んだあとに、人情を覚えてくるのではないかと感じてますね。 ★この下町で、どういう子供時代を過ごされましたか? そういえば伝書鳩を飼ってましたね。遠くに行って放してやってレースに参加させたりしましたね。一着だと表彰状をくれるんですが、うちにはいい鳩はいなかったからもらえたことはないんですが、帰ってきた鳩にはご褒美の種を上げたりしてかわいがりましたね。 ★家を継ぐということになって、どうでしたか? 戸惑いは無かったですね。商売は好きだし、親がやっていたし、10年以上勤めていたサラリーマン生活にもあきたし。昔は修行しないと一人前に慣れなかったですから大変は大変でしたよ。掃除だって丁稚なみにね。息子だから余計に他人より厳しかったですから、怒られる時はけじめのためにうちの若い衆より先に叱られたもんです。 ★では最後に座右の銘を教えてください? モットーは人に優しくすることです。自分を頼ってくる人には一所懸命に面倒を見てやる。おっぽり出せないですからね。悪いことをしなければ面倒を見ますよ。 「昔はね1日は深川のお不動様。3日は江戸資料館どおり。4日は太平町地蔵坂。5日は千田町商店街。6の日は元徳さん。7はなくて8は弥勒寺さん。9がなくて10は虎ノ門。亀戸だって正月、天神様のお祭り、夏祭り、藤祭りとある。月のうちの休みは六日か七日で、毎日のように縁日がありましたね」。思い出している菱沼さんの目は和やかでしたが、楽しい縁日の中にあるものは、『寅さん的のんきさ』からはほど遠いお話でした。縁日考が少し変わったのは私だけでしょうか。 |
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※2003年4月収録 |
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