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下町の顔
FACE


2.竹を割いて一人前に
★それではちょっと質問を変えて、豊田さんが三代目ということでお聞きします。師匠はお父上ですか?
おじいさんですね。長生きしたから。親父は仕事専門でやっていましたから。おじいさんに竹割を教わりましたね。

いろいろなすだれ
★仕事中は親方とか弟子になるんですか?同じ家の中でどこからどこまでが親でどこからどこまでが師匠とか境界線は?
すだれは子どもでもできる部分があって、私は中学のときから手伝っていましたね。初めの頃は「こんだけやったら遊びに行っていいよ」と、おじいさんに言われるんです。そうやって段々に入って、学校卒業した頃には普通にできるようになってました。あまり境界線というのはなかったです。

★いわゆる職人職人した親方がいたわけではないですね?
そういうことはないですが、まだ下手なときは高いものにはさわらせてもらえませんでしたね。1つだけおじいさんに言われたことを覚えていますよ。「お前、それでは上手くなれないよ」って。「どうして?」って聞いたら、「竹に逆らっている」って。竹に逆らう性格では駄目だよって。何言ってんだよって思いましたけどね。おじいさんは竹割の名人でしたからね。

★「何言ってんだよ」って思われたことが、「そうだったんだ」って思われるようになられたのはいつ頃ですか?
そうですね。30歳になる前の頃でしょうかね。

★竹の性格が分かるのは一つの技術ですか?
そう、割っているときに分かりますね。自然にね。柔らかいとか堅いとか、こちらに力を入れたほうがいいとか。説明できないですけど。感じでね。

★割るのは刀ですか?
刀です。余談ですけど、竹を割ったような性格の人とよく言いますね。まっすぐという意味で使いますが、あれは嘘ですよ(笑)。竹はカーンとは割れない。必ず曲がる。今でも竹の性格を読み間違えると割れない。3本に1本くらいは違ったなぁって思う。なかなか真っ二つには割れない。それを四つに割り、八つに割っていくんですけど、三間もあるようなものを作るときはなかなか大変です。節のところもね。竹にも枝が生える芽というところがあって、そこに鉈(なた)が入ると比較的良く割れるんです。切り口を見ると少し内側に出っ張っている。そこですね。先のほうに行くと分かるんですけどそんなとこは使いませんから。竹は2つに割れるようになってから更に5.6年修行してやっと籤(ひご)のように細く裂いていくことができるんです。竹のすだれは職人にとって一番の腕の見せ所ですね。割った順に編んでいきますからね。竹ってまっすぐじゃないから、同じ竹でも隙間があく。竹の質を見極めていく。難しいです。

★では豊田さん自身のお話を?
生まれはここですね。関東大震災後、ここより200m川下から引っ越してきました。八名川小学校は私のオヤジが第1回の卒業生ですね。

★下町の良さとかは?
他に住んだことがないですからね。比べようがないんですが、周りの人々が、生まれた時からの自分を知っててくれてる、という安心感ですかね。

★大きく変わった下町風景というものはありますか?
力道山がハーレーで来るんです

子どもが外で遊ばなくなりましたね。終戦後はバス通りでもみんなで野球をやったものですよ。まだ都電も通っていなかったし。力道山がハーレーに乗ってやってくるのを何度も見ましたね。なんだか知らないけどこの道を飛ばしてやってくる。印象的でしたね。力道山がやってくると野球をやめて皆で道をあけましたよ。かっこよかったですね。戦災で死んだ人の匂いが土に残っていて、夏になると八名川の道で、人の死んだ匂いがぷーんとする。戦後まだまだ畑だったから、その畑の真ん中に土盛が土俵のようにしてある。で、そこで相撲を取るわけですよ。ある時ショベルカーがきて崩して、中に骨がいっぱいあったってこともありましたね。昭和22年頃でしょうかね。

★豊田さんはどういうお子さんでしたか?
ふふふふ・・・・なんかきかん坊で有名だったらしいですよ。いたずらして。友達を原っぱに縛り付けて帰ってきたりね。

★大学を出られた職人さんということですが、手に職を付けることを優先しなかったことの良さとか悪さとかはありますか?
どうでしょうかね。大学出たとき仕事はもう一人前にできていましたからね。大学出てることが邪魔になったことはないですね。出ていたほうが良かったと思ってます。調べるのにもあれを調べてあそこを調べればいい、ということが分かります。文献なんかも何を読んだらいいかということが分かります。他の世界も幅広く知ることができたから良かったと思います。が、ただ、逆にこれ一筋ということはできないですね。これが駄目ならあれをやろうと思える。おじいさんに教わったことも一筋にはやっていません。駄目なら捨てるというやり方をした。新しいものを入れて行かないと駄目になりますよ。これはもう間違いないです。私は中年になってから古いすだれ屋さんに、逆に物を聞くようになりましたね。

★昔の技術などを文献で知って驚かれたようなことはありますか?
文献ではないですが、昔のものを解いていくと見えないところに名前が書いてあったりします。それを発見したときはいいなぁと思いましたね。これ見よがしに伝統工芸品!って言っていない所がいいですね。

★先ほど中年になってから古いすだれ屋さんに物を聞くようになったということはどういうことですか?
何か新しいものを作ろうとするときに、物の基本を知らないとできないですね。そんな時は一から聞いてみたいなと思います。新しいものでも、昔のものとかけ離れたものを作るということは駄目ですね。時代の変化に通用するものの見極めが大事です。嗜好品だから好みが変化していく。それを常に気をつけていないとね。

3.座右の銘
★最後に座右の銘を教えてください。
う〜ん。『いつも同じランクのものを作る』ですかね。お客さんは一つしか買わないから、出来不出来があってはいけないということですね。一日二十枚くらい作るでしょ。その中に一つくらい出来の悪いのがありますよね。でもそれはいけない。戒めてます。


椅子に腰掛けて話してくださった豊田さん。職人らしい節くれだった手が印象的でした。時代の流れはあっても残っていくものは残っていく、踏ん張りどころを見極めて、常に自分を戒める、そう語る豊田さんの目にその現実の厳しさを受け止める光を感じました。作業場には萩、ガマの芯、ゴギョウなどが積まれていて、日向の匂いがしました。自然のものを素材にして生活する日本の良さを、改めて思いました。

※2003年3月収録
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