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【三原堂前より水天宮を望む】

ここは水彩画家『菅野たみおさん』の絵をもとにして、女性レポーターSORAさんが実際にその場所を訪れて、周辺を紹介するページです。

第5回『人形町界隈』2004/3/8
絵をクリックすると拡大版がご覧になれます

1590年、徳川家康は豊臣秀吉の命を受けて、それまでの居城、駿河の国(静岡県)から江戸城にはいってきました。江戸の町は、はじめは御府内(現在の千代田区)のみでしたが、人口増加に伴って東京湾を埋め立して陸地を増やすと共に、関西から運ばれる物資が水運を利用して江戸の奥深くまで入ってくるように、掘割も多く作られました。江戸は大名屋敷が80%を占め、残り20%の狭い空間に町民。その20%も大通りは裕福な商人が住み、その日暮しの庶民は細い路地を挟んだ長屋という配置でした。
その細い路地が今も残る人形町界隈を今日は歩きます。
人形町は、浜町、堀留、蛎殻町など、江戸の南の端の海沿いであった町名が未だ残っている一角にあります。昔は魚河岸もあったところです。遊郭も、芸も、粋も路地もあって、庶民が勢いよく暮らした街でもありました。現在は営団日比谷線で『人形町』駅、半蔵門線で『水天宮前』、都営新宿線で『浜町』と三通りの入り方があります。今回は出発点を『水天宮前』にしました。

★本日のメニュー(所要時間4時間)
『営団地下鉄半蔵門線・水天宮前』→『水天宮様』→『人形町交差点脇・玄治店』→『商店街の裏路地から裏路地を散策』→『甘酒横丁』→『浜町公園』→『都営新宿線・浜町、都営浅草線・営団日比谷線・人形町、または水天宮前に戻る。いずれも10分以内』

★出発!
半蔵門線、水天宮前駅の5番出口の階段を上がってくると、大きな交差点に出ます。
目の前に警視庁久松署水天宮前交番。緑色の屋根。後ろにある社の樹木とマッチする色です。交番の脇にある灰色の鳥居は実はエレベーターです。ここは安産の神様ですから、妊婦の方のためにということでしょうか。エレベーターの隣からお店屋さんが並びます。メンチカツのあげたてや焼き豚を挟んだサンドイッチを売っているお肉屋さん、そのお隣はおもちゃ屋さん、駄菓子屋さん。縁日の続きのようなお店の並び具合ですが、実際の縁日は毎月5日にあります。
水天宮様は「宇宙創造の神様」が祀られてあります。筑後の国(福岡県)の久留米藩主、有馬邸の守護神で江戸の藩邸(現在の港区青山)に分社されました。江戸時代は邸内にあったので一般の人々は参拝できなくて、塀の外からお賽銭が投げ入れられたそうです。ただし5日の縁日の日だけは特別な計らいで藩邸に庶民も入ることができたそうです。藩邸の移動とともに明治になって現在地に。安産の神様との言われたのは、妊婦が参拝の鈴を鳴らす布の切れ端をいただいて腹帯の一部につけたところ安産であったために、このご利益が広まったそうです。
石段を登ります。一般の神社と違ってコンクリート敷きで、これも珍しいこと。さらに駐車場が地下にあるためにとても高い位置に社殿があります。境内は妊婦さんだけでなく生まれた赤ん坊のお宮参りの方であふれていて、家族の温かさがいっぱいの神社です。

余談ですが、本当に余談ですので小さい字で書きます。SORAはここで結婚式を挙げました♪。
SORAは手足が長いし背が高いので文金高島田は絶対にいやだと、神前なのにウエディングドレスで。神様はお心が広いのでお許しくださったと思いますが、今、思い出しても赤面ものデス_(_^_)_。

★しがねェ恋が情けのあだ
これから人形町の交差点脇にある『玄治店』(げんやだな)の碑を見に行きます。大通りで信号4つほど先。水天宮の交差点脇には有名な重盛の人形焼があります。交差点に立っているだけで甘い香りがします。向かいに三原堂。どちらのあんこが美味しいのでしょうか。香りでは重森の勝ちかな。だからって訳ではないけれども重盛側の歩道を行きます。数件先にうつわの『紅とも』さん。季節柄お雛様がいっぱい。招き猫も。
生活の食器はご飯茶碗やお箸などがあります。横路地を入ったところに「下町おもしろ工芸館」があるという事で探しあてましたが、う〜ん、少しイメージが違ったかなぁ。創作品のお店でした。でも、ネーミングだけで簡単に人は寄ってくるということも実感。
「魚久」さんもあります。切り落としは500円ですぐ売り切れます。
人形町の交差点にやってきました。
真っ直ぐに渡ってすぐの車道すれすれのところに碑は建っていました。「いきなくろべーみこしのまぁつに♪」平仮名のままですが、はい!歌えた人は「かなり年配で賞」を差し上げましょう(笑)。
「しがねえ恋の情けが仇……」で始まる長セリフは「いやさ、お富、久しぶりだなぁ」で見栄をきって、歌舞伎では名場面です。元々は講談のために創作されたもので、日本橋横山町べっこう問屋の息子と人妻お富のかなり長編の恋物語ですが、時代ごとに内容が足されたりそがれたりしていって、講談、落語、歌舞伎と演じ物によっては人情物や政談物にも変化しているようです。見上げなければならないビルばかりの町。そこの足元に小さく建つ碑でした。
江戸時代のこのあたりは隅田川河口の埋立地で葦(よし)の原っぱ。遊郭もありました。移転する前の吉原です。この吉原が享楽の街として人々を呼び込むために芝居小屋も多かったそうです。けれども人が演じる芝居は高くて観られなかったところから、人形芝居小屋もあったそうで、その人形を作る家が多かったところからの「人形町」の俗名が、と観光の本にはあります。大きなビルの谷間にとても細い路地がたくさんある街です。人形師が住んでいた長屋でしょうか。それとも歓楽街のために芸者置屋さんがあったのでしょうか。これからちょっと路地を歩いてみます。