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【江東区清澄より、清洲橋を望む】
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ここは水彩画家『菅野たみおさん』の絵をもとにして、女性レポーターSORAさんが実際にその場所を訪れて、周辺を紹介するページです。

第1回『清洲橋界隈』 2003/3/2

緩やかな曲線を描く清洲橋は、ドイツのライン河にかかるケルンのつり橋をモデルとして関東大震災後の復興計画の中、1928年(昭和3年)架設されています。橋名は公募。『中央区日本橋中洲町』と『江東区清澄町』の双方の1字ずつを取って『清洲橋』と命名。隅田川に架かる橋の中でも群を抜く美しさです。
今回はこの清洲橋からスタートです。

★本日のメニュー(所要時間5時間)
『清洲橋』→『芭蕉記念館』→『芭蕉稲荷神社』→『芭蕉坐像』→『清澄庭園』……>『伊勢屋』……>昼食……>『江戸資料館』→『現代美術館』→『高橋商店街』

★出発!
清洲橋を背にして、まず、万年橋を渡って新大橋のほうに歩くことにしました。
新大橋の命名は、両国橋を『大橋』と呼んでいたので、その次にできた隣の橋を『新大橋』としたとのこと。また大川(隅田川)から数えて一つ目の道だから、この道路を一つ目通りと言うそうで、ここから数えて三つ目通り、四つ目通りがありますが、二つ目の名称は、今は清澄通りと変わっているそうで……とこれは昨夜調べたインターネットからの知識です。本所吉良邸に討ち入った赤穂浪士四十七人は、両国橋を渡らずにこの一つ目通りを南下して永代橋を渡って芝の増上寺に行ったそうで……、とこれもインターネット仕込みです。

★蛙がいっぱい!
芭蕉記念館がみえましたが、今日はここには入らず、ちょっと近所を歩いてみることにしました。記念館から少し南下したところに小さなお稲荷さん。石の蛙がいくつも置かれた石碑がありました。大正6年の大津波で芭蕉遺愛の石の蛙が出現し、この地を古池の跡と指定して"古池やかわず飛び込む水の音"の句碑とともに芭蕉稲荷神社を建立したとあります。正面右にイチョウの樹。枝から『さまざまなことを思い出す桜の木』と一句ぶら下がっていました。
年配の婦人が葉を落としているイチョウの樹を何度も振り仰ぎ、納得できない様子でつぶやいています。"イチョウの樹に桜の歌……!?" 確かに変ではあります……。

★絶景!
一押し!芭蕉稲荷を出て右に行くと目の前が岸壁。左手に石段があって、先に登った人々が感嘆の声を上げていたので、急いで石段を登る。すごい!絶景!隅田川がゆったりとカーブしているさまが見える。カーブの手前から支流が一本出ているが、これは江東区の中を大横川という流れになっていくもの。右側が上流で浅草方面。対岸には中央区のビル群。目の前には今日の出発点となった清洲橋が見えます。本当に優美な姿。ずっと先に大川端リバーシティの高層ビルも見えます。
展望台の中央には芭蕉翁がきゅっと口結んではるか彼方を見ていてなにやら哲学的。清洲橋のほうから見ると、もっと違う角度に見えたけれど、これ動くのか知らん……と連れの者と翁の像をちょっとゆすってみました。台座から上が少し動く、えっもしかしたら太陽と一所に動く?嘘!でも翁の後姿は一度も見たことないからそんなことはないだろうと結論(笑)。「芭蕉翁の『翁』とは晩年の称号、実際には46歳だったそうで、人生50年の頃のことが偲ばれますねぇ」←隣にいたおじさん同士の会話が聞こえてきました。