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第27回
| 「青空のルーレット」 |
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著者 | : | 光文社文庫 |
価格 | : | 476円 |
出版 | : | 辻内智貴 |
発行年 | : | 2004年 |
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錦糸町駅の北口の広場周辺で、数グループの若者が楽器を片手に歌っているのをよく見かける。平日の8時過ぎでも、人だかりのしているグループもある。傍らに自作の詩を書いたノートをおいて、みんな懸命に歌っている。
学生時代の友人のK君も歌が好きで、よく渋谷のライブハウスに彼の歌を聞きに行った。新幹線に乗って名古屋から渋谷に歌いに来る人もいて驚いた。聞き惚れるような歌もあって楽しかった。好きなことに夢中になれることは素晴らしい。
今回の作品の文庫の帯には「夢を見続けるために、俺たちは窓を拭く」とある。
社会人一年生の頃は誰しも同じ気持ちだろうが、十年、二十年と経るうちに、夢は消えてしまうのが常だ。そんな年代になったからこそ惹かれた作品かもしれない。
主人公は高所窓硝子特殊清掃作業員だ。高いところで太陽に照らされながら、ビルからビルを渡り歩く。
みんなそれぞれ夢がある、芝居、漫画家、音楽、小説。
作者は問う。
「一体いつまでこんなことやっているんだろう」
そして、わたしたちに呼びかける。
「そして地上の雑踏を見下ろしながら、そこを歩く人々の姿にふと自分の暮らしを顧みたことが有る筈だ。翼よりも、地上を往く二本の足の確かさを感じたことが有る筈だ。いつ飛べるか分からぬ翼より、歩いた分だけ確実に前へ進む人生の確かさに胸の天秤が傾いた事が有る筈だ」
今ある現実よりも、まだ見ぬ希望を欲すとは若者だけの特権だろうか。
否、そうではあるまい。今日の確かさよりも明日の不確かさに賭ける、その気概がある限り大丈夫だ。
作品には小説家志望の中年の男、萩原が出てくる。
萩原が若者と組んで仕事をしているときに、その若者がビルから落下してしまう。
勤務先の嫌味な専務が萩原をなじった挙句、
「仕事はな、お前みたいな奴が、小説なんか書きながら、遊び半分でやれる事じゃないんだ、あまったれるな」
もちろん萩原の仕事は仲間の中でも、とりわけ丁寧だ、単なる専務の嫌がらせだ。
作者は反論する。
「俺たちの毎日は、けして、甘ったれた遊びなんかじゃ無くて、不安や挫折をいやという程張り詰めた中を一本の綱を渡るようにして生きているという事だ。希望や夢と引き換えに、それを引き受けて生きているという事だ」
萩原は一発、専務に食らわす。
「夢を叶える事よりも、夢をみる事で、人間は人間になれるんだっ、お前なんかに分かってたまるか」
押しつぶされそうな現実の中で、夢見ることさえ不可能になっているのではないだろうか。
目に見える確かさよりも、まだ見ぬ可能性にかける。
子どもの教育もより生活の確かさを求めて、その子の可能性に託しているとしたら、夢見ぬ大人をつくりだすことになりはしないか。
嫌味な専務は作品の中だけではあるまい。世間の親の中にも、この専務のような考えの持ち主がいる。
退職した萩原は専務の罠にはまる。
萩原は大手が仕事を回すという約束で、会社設立を勧められるのだ。従業員は廃業する会社から回すということにして。
年末の納期ギリギリの仕事だ。しかし、当然従業員の話は嘘だから、人手は全然足りない。
現場には五百万円の借金で買った真新しい道具がならべてある。そのひとつひとつには病弱の萩原の奥さんが書いた「有限会社 萩原商会」の文字。
萩原のルーレットはどうでたか。
専務の仕事を放り出して、三十人もの仲間が駆けつけてくれたのだ。
仲間の一人が言う。
「萩原さん、いい小説書いてくださいよ」
萩原はこたえる。
「書くよ、こんなに何かを書きたいと思ったことは無いよ、」
作者はあとがきに書いている。
「あとどーでもいい事だが、この一冊を、あの頃一緒に窓を拭いた仲間達ひとりひとりにささげたいと思う。うけとりやがれ」 |
2004/6/30 |
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