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第24回
「空中ブランコ」

著者奥田秀朗
価格1238円
出版文藝春秋
発行年2004年

 佐世保の小学生殺人事件についてさまざまな報道がされている。私自身も事件に影響を与えたといわれる映画「バトル・ロワイヤル」をビデオで見た。確かに中学生のクラスで最後の一人が残るまで殺し合うという設定は残酷だ。しかし、物語の主題は殺人にあるのではなく、人間不信に陥りそうな中で、クラスメイトを信じることこそがこのゲームから生き残る道であることを教えていた。言いかえれば、自分の利益だけを図るのではなく、お互いを信じ、力をあわせて乗り越えていくことが求められているということだった。

 今回紹介するのは傷ついた心を癒す精神科医の物語で五つの短編からなる。
名前は伊良部。どうも阪神の伊良部選手を模したらしい。体重は百キロを超える。
表題の作品ではサーカスの空中ブランコのフライヤー、山下が相談に来る。相手が変わり、飛び移る時に落っこちてしまうのだ。最初は相手がわざと落としていると錯覚していたが、何かが変だ。そこで伊良部に相談する。やたらに注射好きな先生と超ミニの白衣にくわえタバコの美人看護婦がどうするか。
治療は栄養剤の注射のみ、そのくせ一度空中ブランコをやらせてくれと山下に頼むのだ。もちろん往診という名目で、注射は無料にするからという交換条件を出して。
空中ブランコの伊良部先生のスタイルは豹柄のレオタード。伊良部先生の無心な練習風景を見て、自分には欠けていたものに気がつく山下。警戒心が非常に強いために簡単に相手に心を開けなかったのだ。
伊良部先生は癒し系だと人はいう。
「周りをらくにさせるっていうのは大事な性格だと思う」
そして、ついに伊良部先生はお客さんを前にして飛ぶことになる。
もちろん観客は大爆笑。

 今まで上手くいっていたのに、突然駄目になる。そんな時に伊良部先生を訪ねる。
イップス(自分の考えていたことが体に伝わらなくなり、意に反した動きをしてしまう)になったプロ野球選手坂東が訪ねてくる。思ったとおりに返球できないのだ。
原因は自分のポジションを狙う新人が入団した為だ。
当人は年棒一億五千万のベテラン選手なのに、どうしてもルーキーの存在を気にしてしまう。
「順調に来た人間は見えない部分が多いんだよ」
「最初からできた人間は、自分がどうしてそれをできるか考えないんだ。だから一旦歯車が狂うと、修正に手間取るんだよ」

伊良部先生はそのルーキーを取り除けば良いという。
「そりゃ闇討ちでしょう。上野公園で外国人を雇えば三十万ほどでやってくれるよ」
うまい具合にそのルーキーを取り除くチャンスに出くわす。彼がヤクザに絡まれているのだ。しかし、坂東は彼を見捨てなかった。顔面を殴られてもルーキーをかばったのだ。
翌日、伊良部先生の草野球に付き合う。
みんな楽しんでやっている。坂東は思う。
「すっかり忘れていた。小学四年生で少年野球に入り、あとはずっと勝つための野球をやっていた。練習は歯を食いしばってやるので、チームメイトは全員ライバルだった。引退したら、草野球チームに入ろう。勝っても負けても、笑顔の絶えないチームに」

最後は強迫症になった女流作家の牛山愛子。ある程度は売れてはいるのだが、作品の傾向はマンネリ化して書けなくっている。ここでも伊良部先生は自分の作品を編集部に売り込んでくれと愛子を困らせる。
愛子の強迫症の原因は5年前に書いた家族の崩壊と再生をテーマにした長編「あした」がまったく売れなかったことにある。どうしたらいいか。
あるとき出版社のロビーで友人の編集者と出会う。その友人は若手監督のすばらしい作品を売り込みに来たのだという。ブレイクすると思っていたのにまったく観客が入らないという。
「まだ可能性はある。きっと口コミで広がるはずだって思って、その後も映画館の周りをうろつくんだけど、それでも客が入らない。制作費が安いから、宣伝するお金もなくて、どうしようどうしようと思っているうちに、たった二週間でレイトショー行き。こんな残酷な話ってある?これが日本映画の現実だよ。入るのはアニメとテレビの焼き直しばっかり。大手企業が出資して、人気タレントを使って、大宣伝して、目先の金を稼いで作り逃げ、こんなふざけた話ってある?」
 
「この国で映画の仕事やってると、こんなのばっかりだよ。ここで報われないとこの人だめになる、だから神様お願いですからヒットさせてくださいって天に手を合わせるんだけど、それでも成功することのほうがはるかに少ない。せめて自分は誠実な仕事をしよう、インチキに加担だけはすまい。そして謙虚な人間でいようって・・・」

愛子は彼女の言葉に励まされ、思った。
「世界のあちこちで起きている激しい出来事に比べれば、作家の仕事など砂粒のようなものだ。消えたっていい、風に飛ばされたっていい。その時々で、一瞬だけ輝いてくれれば」
超ミニの看護婦が『あした』読みましたと追いかけてくる。
「またああいうの、書いてください」
愛子は立ち直った。
「人間の宝物は言葉だ。一瞬にして人を立ち直らせてくれるのが、言葉だ。その言葉を扱う仕事に就いたことを、自分は誇りに思おう。神様に感謝しよう」

 「バトル・ロワイヤル」には「ええ友達ができてよかった」という台詞がラストにある。
もし少女が伊良部先生をたずねていたら、いい友達になって彼女も立ち直ったかもしれない。

2004/6/8