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第23回
| 「嗤う闇」 |
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著者 | : | 乃南アサ |
価格 | : | 1400円 |
出版 | : | 新潮社 |
発行年 | : | 2004年 |
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1981年6月17日江東区森下で覚醒剤中毒者の川俣軍司による通り魔殺人事件が発生した。発生現場は私の住まいの目と鼻の先だったので、白昼のこの事件は戦慄を覚えた。
殺人事件とはまったく関係がないように思える日常の中でも、事件は絶えない。
また今年の4月にも江東区内の花見の名所の一つである辰巳緑道公園で起きた殺人事件も未解決だ。ここも、例年我が家の夜桜見物の場所なだけに、驚きだった。
今回紹介する作品は、直木賞受賞『凍える牙』の女性刑事音道貴子が下町の隅田川東署に転勤したところからはじまる。
作品は4つの短編からなる。最初『その夜の二人』の事件ではアパート経営者の奥さんが何者かに襲われ、重傷を負う。アパートには司法試験を目指す青年が住んでいる。奥さんは何かとこの青年の面倒見ていた。所謂面倒見のいい奥さん、下町には良く見かけるタイプだ。食事の世話はもちろん、シャツも買ってきてくれる、ありがたい存在。
「明るくて、愛想が良くて、表裏が無い。人づきあいも悪くないし、金のことでトラブルを起こしてる形跡もない」
近年は人間関係の距離が広がってきている。昔は何でもなかったことが、非常にうっとうしく感じられるようだ。お世話されるのは余計なお世話というわけだ。しかし、下町では他人行儀は止しましょうというのが流儀だ。そこにギャップが生じる。
この青年も下町の流儀を負担に感じ犯行に及ぶ。
「さんざん、世話になったんじゃないのか?」
「さんざんってこと、ないでしょう。べつに、こっちから頼んだわけじゃないんだし」
「あんな女に母親面されるなんて、もう、うんざりだったんです。こっちが金が無いもんだから、引越したくても引っ越せないって分かってて、毎日のように、なんだかんだって呼ぶし。恩着せがましく、栄養がどうのとかって言って」
「余計なお世話だって言うんです。そりゃ、自分のところは、亭主はトラックの運ちゃんだし、息子はコンビニ勤めだし、学歴も何も関係ない世界で生きてきてるんだろうけど、そんな程度の低い連中に、何がわかるっていうんですか」
もしこの青年が司法試験に合格したらどんな法律家になったのだろうか。
瀬戸内寂聴をして生き仏と言わせしめた元弁護士中坊公平は『中坊公平・私の事件簿』のなかで次のように述べている。
「森永ヒ素ミルク中毒事件を境に、私は世の中には不条理に泣く人があまりに多いことに気がつき、同時にそれは生まれつき虚弱児として、落ちこぼれ組の一人として育ってきた自分と重なり合った。遮二無二目的を実現するエネルギーになった。そして、亡き父が私の名前を公平と決めた気持ちが少しは理解できた。自分個人のためでなく、少しでも公のために何ができるかということを問い直していくのが正しい生き方だと思うようになった」
私も公の字を名前に持つものとして、この発言は肝に銘じている。
表題作「嗤う闇」は下町のマンションでおこる連続レイプ事件。
同僚の男性刑事が言う。
「それにしても、よくないですね。このマンション。ほら、ごみ置き場だって汚いし、その上、非常口の鍵が開けっ放しっていうんだもんなあ。これじゃあ、つけ入られたったて
しょうがないっていうか」
これを聞いて、音道刑事はかちんと来た。
「どんな理由があったって、レイプされていい理由なんて、女の側にはありゃしないのよ。帰りが真夜中になったって、夏だから薄着したって、だから襲われていいって言うわけ?罰が当たったとでも?冗談じゃない、何の罰よ。そういう考え方があるから、被害者は表にでてこられなくなるんじゃないの」
確かに襲われるほうにも責任があるという発言は耳にする。そして音道刑事は返す刀でさらにつづける。
「この恐怖は、男には絶対分からないものなの。一度受けた傷はずっと、下手をすると一生残るんだから。襲われて喜ぶ女がいるなんて、馬鹿な妄想は抱かないで。絶対、レイプは百パーセント、男が悪い。誰が何て言ったって。どんな言い訳も通用しない、最低最悪の犯罪よ」
一生残る傷とはいかに凄まじいものであるか、想像できるだろうか。
もうかなり昔のことになるが、毎日新聞の『女の気持ち』という投書欄にレイプされた女性の手記が載った。レイプのために婚約も破棄されたと知り、涙が止まらなかった。
どんな言い訳も彼女を救うことはできないのだ。ただ一つ、彼女を支えたのは父の想像を絶する愛情だった。
この物語に登場する被害者も結婚するはずだった。
「許してなんか、くれないですよね、彼。私がこんなにことになったって知ったら、絶対に・・・」
本当なら今、いちばん傍にいて欲しい相手を、呼ぶことができないつらさ。誰よりも救いの手を差しのべてほしい相手に頼れない苦しさが、痛いほど伝わってきた。
音道刑事の同性に対するいたわりは、被害者にとってただ一つの救いかもしれない。
犯人を検挙しても、それで被害者の心は癒される訳ではないのだから。 |
2004/6/1 |
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