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第14回
| 「女子少年院」 |
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著者 | : | 魚住絹代 |
価格 | : | 667円 |
出版 | : | 角川書店 |
発行年 | : | 2003年 |
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ひとは変わりうるか?
今回の平成九年に起きた神戸の事件の犯人が医療少年院から仮釈放された報道に接して考えた。
確かに映画「グリーンマイル」に出てくる凶悪犯のような人間もいるだろう。
しかし、少年犯罪において更生の可能性を否定することはできないと思う。
今回紹介する作品はかって私も一度は志した職場の真実である。作者は私と世代が同じで学生時代は幼児教育を学んでいる。
少年司法の現場では少女であっても「少年」と呼ばれる。
少年院は初等、中等、特別、医療少年院に別れている。そのうち女子少年院は全国に9つしかないため、同じ敷地内で複数の種類の施設を運営している。
男子の収容者には注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱えるケースが多い。女子の場合はジェンダーの特性により被害者になりやすい一面がある。そのため心的外傷後ストレス障害(PTSD)、境界性人格障害、摂食障害もよくみられる。
ADHDはもちろん、PTSDにしても学校現場において通常の体制では取り組みは不可能だろう。だからこそ専門家が必要なのだが、罪を犯してからその治療に取り組むというのでは子どもたちがかわいそうではないか。ADHDはまだ社会の理解を十分に得ているとは言えず、単に親のしつけが悪いと思われる場合もある。
作者が出会った少女のケースの中で印象に残ったのは十五歳で少年院に送られたときは、ご飯を手づかみで食べ、生理用ナプキンの使い方もわからない野生児のような少女だ。
彼女と作者との取り組みはヘレン・ケラーを教えるサリバン先生のごとく、正しく奇跡の人のようだ。
「何の実りもない日々が延々と一ヶ月も続き、私の中の信念は疑念に変わっていった。いったい、いやがる彼女に無理やり教え込むことにどれほど意味があるのだろうか。もしかすると、私は彼女を刑務所に入れてなるものか、という自分の意地でやっているだけではないか」
やがて作者はこの気負いから解放され、彼女に歩み寄っていけるようになる。
そして、ついに半年がかりで実現した母との面会。
少女は「ちっさい頃から、ずっと一人で淋しかった。お母さんに追ってもらいたかったけど、お母さんはいつもおらんかったし。食べるものもなかった件、よその家に行って食べたりしよった。これからは、ちゃんと働いて迷惑かけんようにするから・・・」
育児放棄してきた母は言い放つ。「こん子、わずらわしかァ」
少女は一言も母を責めない。それがまた涙を誘う。
少女はこれを機に劇的に変化して、社会復帰を果たす。
ところが今度は自分の五歳の娘への虐待に悩んでいた。
作者は言う。
「逆境の中で育った子どもたちは、親となって、悩みながら子育てする中で、我が子と一緒に成長していくのかもしれない。立ち直りとは長い人生のたびのように思う」
「優しい」という字は人の隣に憂いがある。憂いの多いひとが優しくなれる。
これは「金八先生」の台詞だが、少年院の子どもたちにも当てはまるのではないか。
確かに、宮部みゆきが「クロスファイヤ」で指摘するように、被害者の気持ちや更生しない少年の問題もある。が、更生の可能性は信じる。
この「しょく罪」について現場の教官の声がある。
「生徒を崖ぷっちに立たせることになるが、決して崖から落ちないようにギリギリのところで見守る」
私たちはマスコミによって、すぐに謝罪を求めがちだが、それが被害者・加害者双方に不利益であるとの指摘には納得した。
少年院の再入院者は一割から二割だそうだ。社会に出てからの受け皿が大切だ。
自分の周りには来てもらいたくない、関わりたくないという意識が働いていないだろうか。
社会で子どもを育てるという意識を今一度、私たち大人は確認する必要がある。
そうした中で、私たち大人は何をなすべきか。
「そういえば何故だろうね、と子どもと向き合って、自分の内から出てくる本物の言葉で話し、いっしょに考える大人の姿勢が大事なように思う。その積み重ねの中に、子どもの判断する力や思考する力、ひいては他人を思いやる言動、自分を大切にする心が備わっていくのだと思う。これらが総じて、彼らを守る防壁、すなわち、自分で自分を守る力となっていくように思う」 |
2004/3/23 |
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