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第12回
「左腕の猫」

著者藤田宜永
価格1714円
出版文藝春秋
発行年2004年

 学生時代は心理学を勉強した。二十一世紀は『心の時代』だと思い選択した。
仕事には役に立たなかったが、人間分析には大いに役立った。
心理学の中でも『家族心理学』を中心に学んだ。
自分の負っている家族を解明したいという思いからだ。
できることなら、家族の呪縛から逃れたい。若いときは家族に押しつぶされそうになっていた。
そうした故か、今でも読むのは家族を題材にした作品が多い。

 今回紹介するのは、家族の中の夫婦の物語。
作品は6話の短編からなっている。登場人物に共通するのは、猫と女性、そして男。
その短編の中から印象深い「永遠の猫」を取り上げる。

 二十六歳の一人娘のいる夫婦が主人公。これまで表面的には平穏に暮らしてきた夫婦に妻からの離婚申し出が波紋をおこす。いわゆる熟年離婚。たいていの場合、夫は理解できない。この夫もそうだ。妻が乳がんになってからも献身的に努めてきたのに何故、離婚しなければならないのか。過去に浮気をしても決して妻と別れるつもりはなかった。
それに対する妻の答えは「これまでの人生が、あの病気で、一気に切れたみたい、今風に言うと、リセットされちゃったの。乳房をひとつ失った。その代わりに、新しい世界が見えてきたっていうのかな。そしたら、この家での生活も、あなたの顔も、ベッドの軋む音も、夏に白い花をつけるヒメシャラも、輪島塗のお椀も、手すりの傷も、玄関ドアの取手を握った感じも、何もかもに、あきたなって思うようになったの」

「新しい世界」は夫婦でいても見えるではないかというのは男の論理だろう。
男は所詮、仕事や家族を足場にしてしか世界が見えないのに対し、女性は足場をどこにでも求めることができる。だからこそ、肩書きを離れた世界での女性の進出が著しいのではないか。閉ざされた家族の中に女性を閉じ込めておくことはできないのに、もしかしたらとあがいている男が今もいる。

 夫は妻がメール交換している同窓生との交際を疑うが、そんなところに事実はない。
過去の浮気の露見だろうか。娘に聞かれたしまった愛人の妊娠騒動。そんな思いにとらわれているときに、隣家のおしどり夫婦の奥さんが尋ねてくる。
「ご主人に飽き飽きしたことはないんですか」と夫が尋ねるとその奥さんは「あるに決まってるでしょう。うんざりしっぱなしだった時期もあった。でもね、一緒にいるのが運命だって諦めて生活してきたから、家を出ようって思ったことはなかったわね。今の若い人はどこででも働けるけど、昔はそうは行かなかったでしょう。たとえばだけど、役者の女房だったらさ、以前は浮き名を流す亭主に文句を言うなんてことはほとんどなかったと思うけど、今はそうは行かないよね。女も独立してるし。その分だけ自尊心も高くなったからね。一言で言えば、昔の女は我慢が商売だったってことかしら」

「我慢が商売」とは旨い表現だ。現代では通用しない以上、やはりリセットする女性は増えるだろう。情報も物も人も全てが流動化している中で、ひとつの場所にとどまっていること自体が考えられなくなっている。夫婦も流動化していくのだろうか。

 夫婦交換(スワッピング)というのはアメリカのクエーカー教徒から始まったという。
限定的な流動性を持たせて、夫婦関係の存続を図る手段として考え出された。敬虔なクリスチャンたちだからこそ夫婦の存続を願ったといえる。
それに対して、日本ではきわめて無防備な状態に夫婦や家族が置かれてきた。
主人公の娘の言うように物事に飽きるから進歩があるのだとしたら、夫婦や家族はどう進歩していくのか。それについて、ひとつだけいえることは核家族化は決して進歩ではなかった、変容に過ぎなかったということだ。

 かって馴染みだったホステスの愛読していた『ランボオ詩集』の一説が出てくる。

 とうとう見つかったよ。
 なにがさ?永遠というもの。
 没陽といっしょに、
 去ってしまった海のことだ。

家族という小さな器の中には、永遠も海もはいらない。

しかし、平々凡々とした毎日の繰り返しの中に永遠はあるのではないか。
塀の前で眠っている猫を見て主人公は思った。

2004/3/9