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第10回
| 「自殺死体の叫び」 |
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著者 | : | 上野正彦 |
価格 | : | 476円 |
出版 | : | 角川文庫 |
発行年 | : | 2003年 |
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「もう十五年以上前のことになる。代議士の私設秘書として選挙区回りをしていた頃、踏み切りで停まっていると、死んでしまいたい誘惑に駆られた。職場はヤクザ同様の者ばかり、勤務状況も劣悪で家族と顔を合わせる時間もなかった。誰にも思いを打ち明けられずにいた。あのときに思いとどまらせたものは何か。暖かく支えてくれた後援会のひとたちだった。
今回の作品の著者は法医学を専門としている監察医だった。
監察医制度は太平洋戦争後に上野の地下道で浮浪者が毎日のようにバタバタ死んでいったのが直接のきっかけであった。GHQは正確な死因を調査するために解剖し検死する仕組みを作った。
一番この制度が発達したのが東京都で、衛生局下に監察医務院を置いた。
著者は自らの仕事について「医学の世界では珍しく、生きている人にはまったく縁のない仕事だ。しかし、これはこれで、死者の人権を擁護したり、社会秩序の維持に大きく貢献している仕事であると、今でも自負している」語っている。
青木ヶ原樹海での自殺は、自然の中で静かに朽ち果てていくロマンティックなイメージではないだろうか。しかし、現実は昆虫や動物たちに好き勝手にいじり回され、野ざらしに放置された状態は、列車への飛び込み自殺の轢死体と大差ないと著者は断じている。
自殺者の手段別割合は首つりによる縊死が断トツだ。安易に死ねるからということだが、これも眠るがごとく楽に死ねる方法など存在しないというのが著者の持論だ。
ためらい傷のように体に残されるものや周囲に発せられる間接的なメッセージは、心の中の葛藤以外のなにものでもないという。
先日聞いたラジオドラマに「屋上の女」というのがあった。屋上から飛び降りた妻に再び会うことが出来るのではと思い、休日に屋上にやってくる男と、たまたま自殺しようとやってきた女の物語だった。男の話を聞いて自殺を思いとどまるところで話は終わった。
私たちもこの男のように、今自殺をしようとしているひとに対して、語るべき生を持っているだろうかと考えさせられた。
自殺を思いとどまった青年が三日目に再び決行し、あっけなく逝ってしまった話が出てくる。この3日間の心の動きが解明できれば自殺予防に大いに貢献できると強調している。
「長い人生、嫌だと思うことは多々あるが、努力すれば必ず報われるものである。真面目にこつこつやっていれば、たとえ大成できなくても、今以上に満足できる状態は必ず訪れるはずだ。なした努力は、必ず報われるのである。また、そういう社会をこの日本に築いていかなければならないと考える。」
著者はいかに自殺体が醜く無残であるか、轢死、服毒自殺 入水自殺の例を挙げて説明している。特に水死体は二倍以上に体が膨らんだ赤鬼状態で発見され、身元の確認も困難になるという。そこで身元引取りを拒否する遺族もいるそうだ。しかし、交通事故となると保険金の受け取りがあるので必ず引き取られていくというのだから滑稽だ。
著者は在職中に「老人の自殺」と題して論文にまとめている。
最も自殺が多いのが三世代同居の老人で六割以上になる。昔と違い、価値観も生活習慣も異なる現代では当然かもしれない。年寄りを中心にではなく、外側に押しやられては生きている意味も無くなるかもしれない。
著者の父もまた北海道の積丹半島の医者であった。
医者にかかるお金がないというと「馬鹿なこと言うんじゃない!金と命とどっちが大事なんだ」と叱り、その上で金も取らずに帰る父だった。だから、今でも高級外車を乗り回し、高級住宅街の豪邸に住む医者が不思議に思えると著者は言う。
「結局、死者のよき通訳であり、死者の名医になりたいという思いで、三十年の月日を過ごしてしまった。臨床医に戻って、生きる患者から名医と呼ばれる夢を果たすことはできなかったが、多くの死に立ち会うことで生の喜びを知る、それ以上に大切な哲学を学ぶことができたと考えている。わが人生に、悔いはない。」 |
2004/2/24 |
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