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第8回
「逃避行」

著者篠田節子
価格1500円
出版新潮社
発行年2003年

 今から14年前のことになるが、家族やフィアンセも捨てて、盛岡まで行ったことがある。家出をするには年をとり過ぎていたのだが、もう全てが嫌になりひとりになりたかった。しかし、どうしても捨てられないものがあり、戻ってきた。今も当時を思い出すことがある。

今回の作品の主人公は五十代の主婦だ。
飼っているゴールデンレットリバーが、隣に住む子どものいたずらに我慢しかねて、殺してしまうところから物語は展開する。
この事件に対する主婦妙子の家族の反応は一様に、犬の処分は仕方がないというもの。
ひとり、妙子だけが違った。結婚してから一度も買い物をしたことがない夫、しかも名古屋に妻に隠れて家まで持っている。二人の娘は自分のことで精一杯。もちろん母の味方にはならない。

 ついに妙子は夫の隠し財産の2000万円の通帳と印鑑、そして愛犬のポポと家出
する。
「いい歳になってるからやったのよ」
今までの人生の積み重ねの上に家出がある。誰も味方をしてくれないなら、これまでの人生は一体何だったのか。本来助け合う家族が機能しないとき、そのとき家族は解体するのかもしれない。
運良く魚を運ぶトラックに乗せてもらうが、事もあろうか積荷を失敬しようとした主婦にポポが噛みついてしまう。人を襲う怖い犬と逃亡する主婦ということでマスコミに取り上げられる。もちろん、殺された子どものいたずらがどんなにひどかったかは一切取り上げられない。また噛まれた主婦がオマール海老を盗もうとしていたのに、ジョギング中と報道される。ニュースは恣意的につくられている。

やっと見つけた別荘では、前の主の老婆が近くの沼で死体が発見される。
息子一家との確執ゆえに、鬼の住処といわれるへんぴな土地に住んでいた老婆。
作者はここに現代の姥捨てをみる。
「若い者は親世代との同居を嫌い、親世代の生活を保障する制度も整っていない。そうした中で、技術も覚悟もない人々にハッピーリタイヤの手段として安易に帰農を説くマスコミの責任は重い。こうした風潮は一種の姥捨てではないか。」
そして、一方でビー玉ほどになった黒豆を収穫できるような畑を作った老婆。
「彼女は家族に捨てられたのではない。家族を捨ててきたのだ。日当たりのいい二階の一部屋をあてがわれて、嫁の作ったものを食べてテレビを見て過ごす役立たずとしての生活を拒否して、最後まで自分の意思で生きる道を選んだ」

 別荘の隣人として陶芸家が現れる。その男に週に二回ほど身の回りの世話をしてほしいと頼まれる。
ここで妙子はきっぱりと断り、言う。
「一人暮らしが殺伐としているって言うなら、家族に囲まれて孤独なのはもっと殺伐としてるわ」
一緒にいるだけでは家族とはいわないが、錯覚しているひとが多いのではないか。家族を構成している一人一人が家族になろうとしなければ家族にはなれない。絆は自然発生するわけではない。

 やがて妙子は病気で死ぬ、老衰したポポを残して。
最後の妙子の言葉は「ポポ、どこに行くの、ここにいて。ポポ」
助けを呼びに行こうするポポに投げかけられた。
家族の誰も登場しない。妙子の意識には、もうだれも残っていない。
残っているのは、決して裏切らないポポだけだ。
ひとは自分自身の打算と欲望で生きているが、犬にはそれがない。
ひとはあまりに多くのものを家族に持ち込みすぎたのではいか。

陶芸家は彼らのことを思った。
「ここに流れついたきり、趣味でさえない陶芸で、意に反して長引きそうな余生を過ごしている自分とは違い、小さな事件から人生の歯車を狂わせ、何もかも捨てて逃げてきた主婦とそのペットは、この土地で瞬く間に変貌していった。
 生きていくのに余計なものを次々と身辺から捨て去り、鬼の領域にふさわしい風格をみにつけていった」
ひとを捨て去ったとき、鬼になる。

2004/2/10