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第5回
「夜明けの雷鳴」

著者吉村昭
価格514円
出版文春文庫
発行年2003年

 高校生の頃に読んだ、シュバイツァー博士の伝記の影響もあって医者を志したことがあった。そして現在放映されている「白い巨塔」(山崎豊子原作)が田宮次郎の主演で放映されていたこともあって、大いに感化されたことを思い出す。
今回はそんな青春の頃の理想を想い、歴史小説では真摯な姿勢を貫く吉村昭の作品。
物語は幕末から明治維新にかけて、貧しい者の医療に全力を尽くした「高松凌雲」の生涯を描く。

凌雲が一橋家の医師として、十五代将軍徳川慶喜の弟の昭武の万国博覧会出席のため、渡仏するのに同行するところから舞台は始まる。同行者の中には明治の産業振興の立役者渋沢栄一、シーボルト事件を起こして国外追放されたフランツ・フォン・シーボルトの息子もいる。
上記のように吉村作品にはいつも史実の中で、これまで知らなかった多くのことを知らされる。今回もパリでの万国博覧会に来ているのは幕府の使節団だけではなく、薩摩藩があたかも独立国のような振る舞いですでに到着していたことが出てくる。海外渡航が厳禁されていたのにもかかわらずである。勝者はいつの時代も二歩も三歩も先を歩んでいる。

 このパリで、凌雲は手術をはじめとした最新の医学を学ぶ。そして、無料で貧しい者に施療する病院があるのを知る。そこは一般の患者と同じ医療をうけられ、費用は貴族や富豪などからの寄付によってまかなわれ、国からの援助を一切拒否した「神の館」と呼ばれる市民病院であった。凌雲は、「感嘆し、医学にたずさわる者は、このような高潔な精神を持っていなければならないのだ、と強く感じた。」この体験が後の生涯に大きく影響する。

 江戸城無血開城の一ヶ月後に帰国した凌雲を待ち受けたのは、薩長の跋扈する将軍無き都であった。帰国当初は、かっての主家である一橋家の当主慶喜に再び仕えることを希望していたが、それがかなわず、幕府の海軍伝習所の教官をしていた兄と同様に官軍と戦う道を選ぶ。
その心境を作者は次のように書いている。
「思わぬ大変事が起こったときに人間の真の姿が浮かび上がるという。幕府から恩義を受けた者たちの大半は、薩長両藩にこびを売り、それは時流に乗る、自らの身を守る最善の方法でもある。それとは対照的に、存在すら失われた幕府にあくまでも忠誠を誓えば。必然的に不運に見舞われ、生命すら落としかねない。それは愚かしい道ではあるが、その道を敢えて進むのが人間なのだ、と凌雲は思った。」
ここに、ともすれば光の当たらぬ人生に一筋の光明を送り続ける作者の真骨頂がある。

 やがて凌雲は、榎本釜次朗(武揚)に従い蝦夷に渡る。その中にはペリー艦隊と渡り合い、日本で最初の洋式軍艦の建造した「中島三郎助」の姿もあった。その中島が蝦夷行きの直前に長州の桂小五郎から天下の形成を説かれ、決して死んではならない、軍艦建造の先達として多くの者に伝授してもらいたいと説得された。だが、中島は黙して振り切り、二人の息子と共に五稜郭で最期をとげる。中島もまた「義」のひとであった。

函館で病院の一切を任された凌雲はここで「神の館」で見たことを実践する。
それは敵味方の区別なく施療することであった。
やがて、五稜郭にも官軍が迫る。そのとき凌雲に降伏の仲介をするように官軍の士官たちから命が下る。
最初はためらっていたが、決してむやみな殺生はしないという官軍の確約を信じ、凌雲は五稜郭に持たせる書面をしたためる。果たして榎本たちは降伏し、凌雲たちも江戸に帰る。
戻った凌雲は榎本たちが赦免されるのを待って医院を開設する。ここが凌雲のすごいところだ。自らの降伏勧告で獄につながれている榎本らをさて置いて、自分だけよければ良い
等とは決して考えない。しかも、陸軍や各知事から招聘があっても決して政府の世話にならなかった。あくまでも民間人の立場で貧しい者の医療に尽力した。

 物語は終章で、五稜郭への降伏の仲介を凌雲に進言した二人の官軍の士官、池田と村橋のその後を描いている。
池田は亀戸で侘びしい生活をしていて、戊辰戦争当時の活力に満ちた華やかさは跡形もなく消えている。村橋は官職を辞し、流浪の果てに神戸で野垂れ死にしている。もし、二人の進言がなければ、猛将桐野利秋の進出によって、戦いは熾烈を極め、現地の司令官である黒田清隆さえ戦死したかもしれないというのに。

作者はこの歴史の皮肉を次のように書いている。
「戦というものは、いったい何なのだろう。勝者も不運にさらされ、逆に敗者が恵まれた道をあるくこともあるのか。村橋は、世のはかなさを思ってさすらいの旅に出て客死したのだろうが、確かにこの世は水の上にうかぶ泡沫のようなものだろう。」

2004/1/20