1000本を目指して書き続けているこの下町音楽夜話も、ついに第600曲到達である。2002年5月にスタートし、とりあえず100本は真剣に書いた。その時点で、1000本くらいはいけるなと確信したのだが、やはり長い道のりである。年間50週と考えても20年。もう少し手前で到達することになるのだろうが、やはり長い期間だ。社会そのものが変化し続ける時代だけに、陳腐化しないように工夫する必要もあるのだろう。本や雑誌といった紙ベースのメディアに掲載するものではなく、ウェブサイトで公開するが故に要求されるものがあるとすれば、そういった部分だろう。メディアの変化についてはあまり触れないほうがよいということになるが、CDの衰退とともに見直されているアナログ・レコードについて多くの文字数を割いてきたことは、むしろ幸運だった。ここにきて、いい風が吹いてきたといったところだ。
最近は、滅多なことでは新しいミュージシャンに手を出すことはしないが、ブルーノートなどのジャズばかりでなく周辺領域との交流が盛んなロバート・グラスパーあたりが面白くていけない。ノラ・ジョーンズが2002年にブルーノートからデビューして、それ以降一気にジャンルの垣根が低くなったといった印象が強いのだが、やはりこの10年で聴く価値のある新しいものといえば、その辺に集中しているように思えてならない。SACDなどといったメディアの進化も、古いミュージシャンの大名盤を再発してばかりいたのでは、業界全体の衰退も致し方なしではないか。結果的にレコード屋さんで中古盤漁りをしているのが最も無駄がない行為のように思えてしまう。もちろんロバート・グラスパーもアナログで楽しんでいる。
何度も書いたことだが、自分はソウルやポップスから洋楽にハマっていった人間であり、1970年代に思い切りロックの洗礼を受けた世代であるから、ジャズに関しては聴き始めがかなり遅いのである。田園コロシアムでのライヴ・アンダー・ザ・スカイなどは観に行っているが、そのあたりでもお分かりのようにフュージョン経由でジャズに入った人間である。従ってアナログでモダン・ジャズを聴くというのは、とても手が出ない贅沢という感覚があって、ジャズはCDでいいかという諦めもあったのである。しかし、オリジナル盤に拘らなければそれなりに楽しめ、また、ここにきて、デジタル・リマスタリングされた高音質の重量盤が適価でリリースされることもあり、最近は結構アナログでジャズを楽しんでいるのである。
また、ヤフオクなどのオークション・サイトでは、古いアナログ・レコードを何十枚セットというかたちで売っていたりするのだが、これが結構掘り出し物があるので、無理のない範囲で楽しんでいる。店舗では5倍から10倍程度の値札が付けられているものもあり、侮れないのである。状態は写真と出品者の情報を信用するしかないのだが、毎度意外に悪くない。経年劣化は当然、少しくらいジャケットにヤレやヤケがあっても文句が言えた筋合いではない。例えば50枚セットに30枚聴きたいものが含まれていれば大満足。10枚程度は廃棄か転売かといったところである。当然既に持っているものも含まれている。これを安く処分したところで、大儲けなのである。某ショップの方など、「このヤロー、毎度安く持っていくなー」と思っていることだろう。相場は研究済みだ。伊達に長いこと音楽を聴いてきたわけではない、…申し訳ないねぇ。
そんなわけで、最近はジョー・スタッフォード、モニカ・ルイス、ピンキー・ウィンタースといった往年の女性ヴォーカルを、落札した10インチ盤で堪能している。こういった盤は、サーフェス・ノイズがかえって心地よかったりするので、いまさらに驚いている。そういえば、この人たちもジャズに拘ったところがなく、ポピュラー・ミュージックと言わざるを得ない柔軟さがよい。ジョー・スタッフォードの「ソフト・アンド・センチメンタル」など、殊の外気に入っている。こういった垣根の低い人は昔からいたということか。
折り返しの第500曲も、確かに大事な通過点ではあった。第600曲も12年、干支が一巡してしまう時間が流れたことを確認する重要通過点だろう。遅々とした亀の歩みであろうが、着々と前に進み、時に振り返り、自分が後にした道のりを確認することは悪い気分ではない。振り返るな、前進あるのみといったものとは性格が違う。また駆け上がれる世界でもないのだ。実際のところ、1000本書くということに何か意味があるわけではない。亀の一歩でも、1000歩は大きい。それなりの高みに到達できるはずだ。そのとき、そこで見える景色が楽しみというだけなのである。どうぞ、更なるお付き合いのほど、よろしく。