まさに酷暑というべきなのだろう。昔の夏とは大違いだ。日本の気候は完全に熱帯化しているように思えてならない。暑さも尋常でなければ、雨の降り方も夕立というにはあまりにスコールだ。人間はそれなりに環境順応性が高いので、少々の気候変動には耐えられるだろうが、ほかの動植物はそうはいくまい。生態系が崩れるとは言うが、昔からそうやって少しずつ変化してきているのだろうし、これからも変化していくのだろう。そういう意味では、絶滅してしまう種もあって仕方がないということか。人間のエゴでそうなっているのだろうから、人間が手助けして絶滅を回避するということも意味はあるのだろうが、それは自然なことなのだろうか?人間は神になろうとしているのか?自然の摂理に逆らっても無理は無理という気もするが、どうなのだろうか?生物の多様性を謳うイヴェントが開催される今年、生物多様性元年と位置づけられ、国をあげての動きが活発になっているが、その前にやるべきことがあるのではないかという気もしないではない。
いずれにせよ、熱中症で何人もの人が亡くなってしまうような暑さの中、冷たいものでも飲みながら涼しい部屋でノンビリ音楽を聴いていることは、当然ながら快適ではあるが、あれこれ考えていると何だか眉間に皺が寄ってしまい、心の底から楽しめていないことに気がつくこともある。ジャマイカやブラジルなど、やはり暑い国でも高度な音楽文化は存在するが、果たして砂漠の民は音楽を聴くのだろうか?一定の限界線を越えると、やはり楽しめないものなのだろうか?砂漠化してしまった古代文明が栄えた地域に音楽がないわけではないことに救われる気もすが、日本でも楽しみ方を考えないと、音楽業界のみならず、音楽という文化そのものの将来が危ぶまれるように思えてならない。生ビールをあおって、ライヴ・ミュージックに身を任せていることも気持ちよさそうだが、野外のフェスティヴァルも、もう少し気温が低ければもっと楽しめるだろうに、と思うのは私だけではあるまい。
まだ野外フェスというものが定着していなかったころ、夏の田園コロシアムでは多くの伝説的なライヴが展開されていた時期がある。「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」だ。騒音問題でよみうりランドに移ってからも多くの伝説を残しているが、やはり田園コロシアムでやっていた1977年から1981年は格別だ。鯉沼ミュージックのプロモーションもよかったのだろう。毎年素晴らしいミュージシャンが集い、素晴らしい演奏を披露し、素晴らしいライヴ・レコードとともに強く記憶に刻まれた。とくに60年代のマイルス・デイヴィスのバックを務めていた連中が、様々なかたちでまさに伝説的な名演を残しているのである。
第1回の1977年には、V.S.O.P.クインテットとして、ハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスの5人が顔を揃えている。迎え撃つ日本勢も渡辺貞夫や日野皓正をはじめとして、錚々たるメンツだった。面白いのは翌年の第2回で、トニー・ウィリアムスが総ての出演者に絡むもので、自己の名を冠したトニー・ウィリアムス・クインテットでは、ビリー・コブハムとの直接対決に加えてアメリカン・ハードロックの代表的なバンド、モントローズのロニー・モントローズが参加していることが興味を引く。この男、ソロ名義ではハードロック一本というわけではないのでこれもあり得たのだろうが、如何せん異質である。他にはロン・カーターを加えたマッコイ・タイナー・トリオ、ハンク・ジョーンズとハービー・ハンコックをフィーチャーしたロン・カーター・クァルテット、ロイ・ヘインズまで登場する、オールスター・グループ、ギャラクシー・スペシャルなどというラインナップで、ドラムス好きには堪らない年だったのである。
1979年の第3回は、伝説となった雨の田園コロシアムだ。エリス・レジーナをフィーチャーしたブラジル・スペシャル・バンド、伝説のV.S.O.P.クインテット再来、アル・ディ・メオラをフィーチャーしたチック・コリア・グループ、そしてハービー・ハンコックとチック・コリアのデュオといったラインナップだ。まさに伝説のイヴェントである。フュージョンがブームとして盛り上がるなか、メインストリームのジャズが存在感を示し、不遇だった70年代の終わりと新たなジャズの時代を迎えるべき80年代に向けて、異様なまでの輝きを放ってみせたイヴェントだったのだ。
翌1980年には、ジョン・マクラフリンやスタンリー・クラークなど、その後のフュージョン・シーンを牽引していく錚々たるメンツが終結し、これまた猛烈な演奏を聞かせた。まだクロスオーバーと呼ばれていたように思う。ラリー・コリエル、チック・コリアといった人気者も出演し、まさに新しい時代の到来を告げているような内容だった。とにかく時代の空気そのものが新しいものを求めていた。このメンバーでの開催は絶妙のタイミングだったはずだ。いかに優れたプロモーションだったかが、この辺りからも窺い知れる。
その翌年は中止になる前の最後の年である。ソニー・ロリンズ御大まで登場し、イヴェントとしては一つのピークに達していた。チック・コリア、クラーク・デューク・プロジェクト、パコ・デ・ルシアといったやはり凄いメンツだ。しかし、ハービー・ハンコックはカルロス・サンタナをフィーチャーしてクロスオーヴァーして見せたが、思い切り外していたように思う。これは現場にいたので証言するが、あれは明らかに企画倒れだった。その後もハービー・ハンコックは多くの異種格闘技のようなライヴを実現させるが、個人的にはロクに評価すべきものはないように思っている。常に目新しいことをやって新境地を開拓してきた功績は認めるが、その過程でハズレもあったことはあまり語られないが、結構やらかしているように思う。
毎年開催され、盛り上がりを見せるロック・フェスに先駆け、日本のジャス・フェスティヴァルは素晴らしい実績を残している。斑尾のニュー・ポートやマウント・フジなどといった海外に自慢ができるレベルのものもあった。その中でもライブ・アンダー・ザ・スカイは決して忘れられないものである。年齢と体力の問題もあるが、この酷暑の中ではとても野外フェスに出かける元気はない。そういった意味でも、いい時代だったのかもしれない。「雨の中のV.S.O.P.クインテット」と言われても若い方にはピンとこないかもしれないが、その熱気は本当に凄まじいものがあったのだ。ライヴ録音のCDをぜひ聴いてみていただきたい。間違いなく歴史に残る瞬間が刻まれているから。