時々ジャズ・ベースを無性に聴きたくなる。自分の場合は、ロックもジャズも聴くが、両者の聴き方はまるで違う。ロックはポップスと同じで、曲やメロディを中心に聴いているのに対して、ジャズは演奏を中心に聴いている。ここまではごくごく普通だろう。少しでも楽器をかじったことがある人間は、こういう聴き方になってしまうのではなかろうか?一方でオーディオ趣味が中心にあると、楽器の音がしっかり聴き取れることが前提になってきてしまうので、ジャズやクラシックがよくなってしまう。音楽の接し方はこういった好みのバランスの問題でもあるので、人それぞれ異なっていて当然ということになるのだろう。
結局ジャズ・ベースといって思い出す人間はいっぱいるが、無性に聴きたくなる盤というのは意外に限られていて、ジャコ・パストリアスなどはあり得ないクチの代表だ。彼の場合は、ウェザー・リポートを聴いたときに、「やっぱりジャコは凄いなー」と思い始め「今日は疲れていないから、もう少し聴いてみるかな」といった条件が揃わないと手が伸びない。その反面、「あの盤のベースはいい音で鳴っていたなあ」と思い出す代表は、圧倒的にブルーノートを中心にしたポール・チェンバースがベースのアルバム群である。しかし、こういった場合、「ベース・オン・トップ」や「ゴー」といったポール・チェンバースがリーダーのアルバムは何故か外れる。「ゴー」の一曲目「オウフル・ミーン」はいい感じのベースが聴かれるのだが、妙にベースが引っ込んで聴こえる録音が気に入らない。また「ベース・オン・トップ」の一曲目「イエスタデイズ」の鬱々とした出だしは、どうにも好きになれない
マーカス・ミラーやスタンリー・クラークのスムーズなエレクトリック・ベースも大好きなのだが、どうも音で聴くといった聴き方にはならない。クリスチャン・マクブライドはテクニックも演奏も非常に高く評価しているベーシストだが、どうにも音的に満足できないところがある。ブライアン・ブロムバーグはもっとだ。ロックが聴ける耳なので、轟音ベースもたまには悪くないのだが、ジャズを聴くと思った瞬間、どうもアタマの中のスイッチが切り替わるようで、ジャズ・ベースはしっかりボディの鳴りを大事にした演奏でないと満足できなくなってしまうのだ。そういった意味では、フィニアス・ニューボーン・ジュニアのバックについたレイ・ブラウンや、ジェリー・マリガンのバックで弾くビル・クロウなどは、無性に聴きたくなる代表である。もちろん他にもそういった傾向のいいベーシストは大勢いるのであろう。しかし、音楽の趣味ばかりは、あくまでも個人的なもの、理由も上手く説明できないほど、つまりは「無性に」聞きたくなるというものが、皆さんにもあるのではなかろうか。
以前は飲みながらそんな他愛もない話題で盛り上がれることが、本当に楽しくて仕方がなかった。最近は世の中全体が効率に走りすぎたか、まったくもってそういった余裕がない。こういった時間的に余裕がない状況が続くと、精神的にも余裕がなくなってしまい、気がついたら随分ジャズからも遠ざかっていた、という気がして反省しているのである。憂さを晴らすために聴くのはロックのほうが向いているかもしれない。何も考えずにリズムを刻んでいるだけで、気分が持ち直すことも多々あるからだ。しかし、ジャズは、気分的に余裕がないと、なかなか聴けない。ヘタをすると余計に落ち込むので、聴かないほうがいいこともあるくらいだ。意見を交わす余裕がないのは仕方がないにしても、みんなどれほど音楽を聴くことに時間が割けているのだろうか。
そんな音楽の話題で盛り上がれる仲間がいるのは幸せなことだとは常々思っていた。本音で語り合うので意見が衝突することもあるが、どのみち趣味的なことなので翌日になれば忘れている。さて随分昔のはなしになるが、そういった話題に付き合ってくれた人間のあいだで意見が分かれたベーシストがいた。他でもない、ロン・カーターである。自分のジャズの師匠的存在の人間が、「ロン・カーターはボディの響きを大事にしないので好きになれない」という意見だったのに対して、自分を含めてジャズもロックも聴く人間は、「最もジャズ的な音を出すベーシストだ」と思い、高く評価していたのである。ロン・カーターのどの音が気に入らないのか、もう少し追求しておけばよかったと今更ながらに思うが、自分にとって無性に聴きたくなるジャズ・ベースの代表的な一枚は、ロン・カーターの日本独自企画の一枚「ザ・マン・ウィズ・ザ・ベース」であり、その一曲目、ウィスキーのCMでも使われていた「36414」なのである。実に心の琴線に触れる演奏なのである。そういう意味では、日本独自企画ということも頷けるというものだ。
このアルバムを通して聴かれる骨のあるウッド・ベースの輪郭がはっきりした音は、自分が理想としていたジャズ・ベースだったのだ。ロックの歪んだ音質になれた耳で聴くからロン・カーターのベース音がよく聴こえてしまうのかとも思って、いろいろ聴いてみたりもした。マル・ウォルドロンやエリック・ドルフィーと真正面から勝負した若き日のロン・カーターは、近年の円熟味とは程遠い勢いのある演奏で、しかも随分骨太な低音を聴かせていた。ビル・エヴァンスやジム・ホールのバックで聴かれるロン・カーターは、静謐な演奏をジャマしない端正なベースを聴かせていた。マイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックと一緒にやっているときは、ときに自己主張もするが、破綻のないテクニカルな演奏を聴かせていた。そしてマリア・マルダーやニコレッタ・ラーソン、リンダ・ロンシュタッドといった歌姫のバックなどで、ジャジーなテイストをポップな曲に持ち込むときには、絶妙な味付けの腕前を披露していた。
こうしてみると、随分バラエティに富んだアルバムでベースを弾いていることが知れる。長年マイルスのバックで修行して、その後は一気に活動の幅を広げたというようにも見てとれる。マルサリス兄弟と組んでメイン・ストリームのジャズもやりながら、多くのロック系、ポップス系のミュージシャンとも交流を楽しんだというあたりだろうが、結局のところ、相当に器用な人のようだ。彼ほどの大物になれば、断れない仕事として持ち込まれたものもあるだろうが、本人名義のアルバムであれば、それなりに自分の個性も打ち出しはするだろう。やはりミスター・ジャズ・ベースといえば、この人という気もする。それにしても異様に参加アルバムが多い人でもある。意外にエフェクターをかけた音も使うようだし、一筋縄ではいかない人物なのかもしれない。おそらくは自分の知らない側面もあるのだろう。久々に、この夏はジャズ・ベースの探究に勤しむとするか。