さて、問題のアルバム、タンタンの「トライイング・トゥ・ゲット・トゥ・ユー」は、1978年にL.A.で収録された、実にアナログに馴染む、高音質録音のアルバムである。内容としては、ビー・ジーズやメリサ・マンチェスター、カーラ・ボノフなどの曲を集めた、カヴァー・ソング集である。そこにプロデューサーのデヴィッド・ウォルファート絡みの曲を3曲加えた10曲構成となっている。カヴァーの選曲は取り立てて面白いものではないし、節操がないようにも感じられる。ただし、素材としては悪くないものを揃えたようで、オリジナルを知っている限りは、彼女の実力が知れて、これはこれで楽しめる。しかし、これでは売れなかったのも無理ないかも知れない。全曲英語で録音したからには、アメリカのマーケットで売り出す予定だったのだろうか?アメリカという国は、クラブ巡りをしているシンガーでも信じられないくらいに上手い連中が多い国だ。とても、このヴォーカルでは無理だ。ネイティヴでない言語圏の人間が乗り込むのであれば、もっと、もっと準備が必要だったろう。プリズムの「ラヴ・ミー」と同じ方向性の曲が多く取り上げられているからには、プリズムでの人気にあやかってのL.A.録音ではあろうが、明らかに時期尚早だったのではなかろうか。
それでも、演奏に関しては、かなり満足のいくものである。メンバーも当時としては、ギャラがまだそんなに高くない若手を中心に構成したかと思われるが、数年後にこのメンバーを集めたとしたら、相当に豪勢なメンバーということになる。何せ世界一のギタリストと言っても過言ではないスティーヴ・ルカサー、キーボードは名手ジェイ・ウィンディング、ドラムスは渋めだが堅実なリズムをたたき出すエド・グリーンといったところである。この辺りのL.A.のスタジオ・ミュージシャンが中心になって、良質のポップ・アルバムが量産された時代が目前に迫っている時期だけに、ウェストコースト・サウンドの愛好家にとっては、結構なコレクターズ・アイテムになっているのではなかろうか。演奏内容は悪くないだけに、尚更だろう。
しかし驚いたことに、スティーヴ・ルカサーにはろくにソロを弾かせていない。プロデューサーのセンスを疑ってしまう。1〜2年後では考えられないようなことだ。何せライナーノーツでの彼の紹介が、まだ「ボズ・スキャッグス・バンドのギタリスト」となっているのだ。今となっては、「TOTOの」という形容で十分通用するルークだが、この時点では、ソロをたっぷり弾かせてもらえるような存在ではなかったらしい。1978年という年は、TOTOのファースト・アルバムがリリースされ、世界的に大ブレークした年である。何とも微妙な時期なのだ。日本人の新人ヴォーカリストのアルバムのために全面的に参加させられるのは、この時点が最後と言ってよいだろう。そんな時期の演奏でも、当然ながら手抜きは全くないし、素晴らしいテクニックは隠しようがない。カッティングだけで実力をアピールできるギタリストは、世界広しといえども、そう多くはいない。当時20歳という若さを考えると、随分渋い演奏を披露しているわけで、やはり天才というしかないだろう。
スティーヴ・ルカサーに関しては、まもなく東京ドームがあるドームシティ内にオープンするJCBホールの?落としとして、ボズ・スキャッグスとTOTOのジョイント公演が実現するのだそうだが、残念ながらこのチケットは入手できなかった。追加公演のチケットも発売されて、相変わらずの人気のようだ。加えて、先日ニュー・アルバムをリリースしたばかりでもあり、当分の間は、世界レベルのトップ・ギタリストとして君臨しているだろう。ただ、残念なことに、TOTOはこれを最期に無期限で活動を停止するとかで、しばらくはあのハイ・クオリティなライヴは拝めないことになるようだ。
自分としてはエド・グリーンの参加が最も嬉しかったというべきか。実に堅実でタイム感のよいリズムをはじき出すドラマーであり、ホール&オーツやドナルド・フェイゲンなどのアルバムでは、かなり渋いドラムスを披露している。また、ジェフ・ベックの「ワイヤード」にもフィーチャーされているテクニシャンである。レオ・セイヤーやシールズ&クロフツなど、ヴォーカルを聞かせるアルバムに多く起用されていることからもわかるように、目立たず邪魔にならないドラムスでありながら、心地よいグルーヴを持った人なのである。どうしても、ジェフ・ポーカロと比べられてしまう気の毒な立ち位置だが、甲乙つけがたい実力の持ち主であることは確かである。
この「トライイング・トゥ・ゲット・トゥ・ユー」、こういった人選が、何とも適材適所と思えるアルバムではあるが、残念ながら、ヴォーカルはこういったバックのミュージシャンのレベルまで到達しているとは思えない。それでも、プリズムの「ラヴ・ミー」が好きであれば、必携の一枚である。同じ路線の甘いウィスパー・ヴォイスがたっぷり聴けるのである。大空はるみの張りのある元気なヴォーカルとは、やはり別人に思えてならないものなのだ。何せ「ラヴ・ミー」はインストルメンタルなアルバムの中に一曲だけフィーチャーされたヴォーカルが、アルバム全体のテイストに上手く溶け込み、さりげなく存在をアピールする素晴らしいテイクなのである。再発された紙ジャケットCDに、ボーナス・トラックとして収録された「ラヴ・ミー」のテイク1は、ブッツリ終わってしまうインストルメンタルだった。どういう加減で素晴らしい最終テイクまで漕ぎ着けたかを知る由もないが、あの出来のよさは、どうあっても見過ごせるものではない。
さて、ライナーによると、リリースまでに時間がかかったのは、最初に依頼したプロデューサー、ゲイリー・クラインの身が空かなかったことに原因があるようだ。ゲイリー・クラインという人物は、メリサ・マンチェスターあたりのポップスの仕掛け人らしい。結局は彼の弟子であるデヴィッド・ウォルファートがプロデュースしているわけだが、そんなにこの連中が必要だったのだろうか。日本国内の優秀なプロデューサーであれば、もっと、もっと彼女の魅力を引き出すことができたのではなかろうか。どうも長年探していたものだから、期待が大きくなり過ぎていたのかもしれない。厳しい評価になってしまったが、タンタンのように実力があるシンガーが、なぜヒットに結び付けられなかったのか、残念でならないのである。きっと彼女の周囲の人間は、もっと悔しい思いをしていたのではなかろうか。