下町の顔 | FACE |
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第27回 『不動の心で江戸木彫刻』 |
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江戸木彫刻 岸本 忠雄さん |
深川江戸資料館の東側にある下町らしいたたずまいの細い道を歩いていくと、観音開きの扉いっぱいに見事な彫刻を表したお家があります。江戸木彫刻家の岸本さんのご自宅兼仕事場兼作品展示室です。木の香りいっぱいの仕事場にお邪魔しました。 1.芸術心と職人魂との競り合い ★ではまず初めに木工の歴史から。鎌倉時代にはすでに仏像を彫っているというイメージがあるのですが、やはりその辺が初期ですか? そうですね。飛鳥時代の仏教伝来の時に中国のほうから日本に帰化をしてきた仏師がいて、仏像彫刻をしたんですね。鎌倉時代の武家政治になると仁王さんのようなでっかいものを作るようになりました。そして安土桃山時代からは能狂言が民衆化されてきて能面も彫刻の部類になって、面打師という人もでてきます。聚楽台とか二条城、浄土真宗本願寺などが出来る頃には、建築そのものも華美になってきて、建築彫刻もその頃から盛んになってくるわけです。
そうですね、まとめてそういいますね。 ★岸本さんの得意分野は? 私たちは建築彫刻です。江戸初期の頃はそれでもまだ大工の棟梁の技術のいい人が建築彫刻をやってはいましたけれどもね。正式な建築彫刻としての道がついたのは江戸の中頃からでしょうね。大工彫り物師と言われる人たちですね。 ★彫刻家は芸術家、大工は職人というイメージがありますが、ご自身ではどちらだとおもわれますか? 私たちは、実質的な心としては芸術家のつもりですが、まあ、職人でしょうね。というのは、芸術家は決まっていないものを作り出してそして自分の心を美として表すということですからね。私たちは依頼人があって仕事をする。頼まれてやるのは芸術家ではないでしょう。私たちは仕事としてやりますから。 お客さんが、例えば仏像は一尺、後背はこういうものと言いますね。そのお客さんの要望、気持ちを組んだ良い作品を作る事が大事ですよ。美の探究は勿論するけれども、お客さんの気持ちを会得した作品、一番好んでいただけそうな作品を感じ取って、お客さんに喜ばれる仕事を収めてお金を貰うということ。材料もお客さんの方から支給してもらう。神輿の彫刻も仏壇の彫刻も。職人ですね。 ★何でもやられるんですか?神輿も? ええ、一応はね。彫刻すべての技術として学びます。 ただ、専門職として仏像を彫る仏師は朝から晩まで仏像を作っているので材料を見ればそこに作る仏体のイメージが湧きます。例えば彼らが1カ月で彫れるものが、私らは何年かに一度しかということもありえるから倍近い日数がかかったりしますね。 ★ところで業界の最近の景気はどうですか? 景気というよりも住居形態が変わることによって建築様式も変わってきたでしょ。木が使われなくなった。東京都では防災上の理由で外部を木で作ることは止められている状態です。 たとえば建築彫刻で欄間というものがありますが、和室が二つ続いた仕切りの上にくるのが欄間。ところが、今は壁面だけで入り口は扉。二間続きの部屋は今の建築にはほとんどない。料理屋さんで大広間と言っても、出来るだけ防音のために仕切るでしょ。だから欄間の出番はなくなってますね。 ★江東区は木とガラスの町だと思うのですよ。木場があって、江戸切り子があって。そんな土地でも減っていますか? 盛んな土地だったんですよ。けど現在の生活様式というものが変わってきちゃったんで薄れてきてますね。新木場だってどこかに売ったり貸したりして、昔の木場のおもかげはないでしょ。木挽きさんも一人か二人しか残っていなくて、あとは製材所でしょ。
★木彫刻というのもすたれてしまうんですかね。現在で何名くらいいらっしゃるんですか? 東京中で65名くらいですね。江東区では4人です。すたれてしまうことがないようにですね、木の彫刻に一般の人も関心を持ってもらうように、木彫教室をやっています。 私はもう年ですから、今では仕事で頑張るよりも教室の生徒さんや体験学習に来る小中学生と楽しみながらやってますね。 ★そうですか。後世に伝えてほしいですね。息子さんもやっていらっしゃるのですか? うちの息子は勤め人になっちゃって、残念だけど跡継ぎがいないんですよ。まあ、人には向き不向きがありますからね。 私たちの仕事は中学を出てやる人が多いですからね。昭和33年以降は、金の卵と言って大きな会社が引っ張るようになってしまって、私たちのほうには来る人がいなくなってしまった。今私たちの業界で若い人というと55才くらいかな。 ★この業界は絶やしてもらいたくないですが、今一番の問題点というのはありますか? もっといい仕事をやりたいと思うのだけれど結局、仕事の注文が非常に少ないということですね。仕事がないから跡を継がせようと思ってもできない。それに外国からは安いものが入ってくる。 ★手づくりとだとしても大量生産のようで風情がなさそうですね。 なんか向こうのほうは相当機械的にやってから、手でちょいちょいと仕上げたようなやつですね。これからの時代は安くなければ駄目かもしれないですけど。それでは木の本当の面白みが出ない。手で作る良さというものを、どうやって一般に普及したらいいか。そういうことを考えていかなければならないことが、これからの一番の問題点かなと思いますよ。手で作るというと日本の彫刻の形態から言うと安く出来ないことになりますからね。 2.受賞は感激と責任、それから・・・ ★ちょっとご自身の事を。この仕事をやろうと思ったきっかけはなんですか? やはり親がやっていたからですね。私で三代目。私は第三子だったんですが、兄たちは学校の先生になったりしてそれぞれに独立していたんですね。それで小学校を卒業してから、彫刻が好きだから私が継ぐって言ってやりました。 四代目として実は甥っ子がいたんだけど、この間59歳で亡くなってしまったから跡継ぎがいなくなっちゃった。ちょっと寂しいです。 ★それは寂しいですね。親御さんが師匠ということになると、三代目のご苦労のようなものはあったんですか? そうね。私からみても親はいい技術者だったと思うから、跡を継いで行くのに親の名前を辱めないように頑張ってきているところですね。うちの親だけでなく昔の人は良くやりましたよ。我々と違ってね。それに負けないようにやろうって頑張ってますよ。 ★お父さんはどんな方でしたか? 親父は仕事の虫というか、何でもひとりでやっちゃうんだよね。職人も三人も四人もいたんですが。仕事一本の親父でしたね。 |
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