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下町の顔
FACE

第16回
『江戸の粋を今に伝える』

<プロフィール>
昭和6年、霊岸島濱町(現在の中央区新川)に、濱町抱鳶頭・山口重次郎の長男として生まれる。昭和19年、14歳で鳶の世界に入る。平成5年、労働省の「現在の名工」100人の1人として卓越技能賞受賞。平成6年、黄綬褒章受章。
新川工業株式会社 代表取締役
山口 政五郎さん

『"半纏に股引、腹掛けに草履履き"祭りの正装にも見えるこのファッションは、鳶の者が祭りにかかわってきた名残です』という記事が、サライ1998年正月号に掲載されていました。下町には鳶という言葉が良く似合います。その鳶頭(かしら)である山口政五郎さんのお宅へ、大きく一つ深呼吸をして、ちょっと背筋を伸ばして訪問しました。


1.鳶頭がきてくれたと町内の人が喜んでくれれば……
鳶は町の使い走り

★「鳶」という職業をまずお聞きしたいのですが?
鳶そのものは大きく分けて二つありますね。一つは江戸時代からずっと続いている我々みたいな町鳶。江戸市中で町火消しをやりながら鳶をしてきたということですね。
明治以降ゼネコンさんの下請けをしている専属鳶というのがあります。我々の中では、野丁場と言い分けてますが、その二つですね。

★町鳶というのは、江戸時代から町民の世話を焼いてきた人たちときいてますが?
徳川家康が入府なされた時江戸は荒野なわけですよ。で、家康が江戸の町作りに入るわけだよね。建設関係が道路を作ったり家を作ったりね。地方から出稼ぎに来た人が根付いていく。かなり街並が整ってくる。火災が発生する。火災が発生すれば消すものがいる。幕府としては武家屋敷、神社仏閣は消すけど町方は消さないわけ。それでいよいよ8代将軍になってから町火消しが登場してくるんですね。町内で自衛消防を作れってね。店火消、そして町火消を作れってね。誰がいいかということになって、そうだ町内では鳶のものが親分子分で統制取れているし、高いところは慣れているし建物のことは良く知っているから、あいつらに任せればいいって、鳶の親方が呼ばれて。そうして『いろは48組』が出てくるわけ。
平常時は町の仕事をやっていて火急の場合に火消に早代わりというのが町火消しなんだよね。火消しだけでなく、町内の横のつながりも強いから、例えば冠婚葬祭があれば「親方!」って頼りにされる。嫁取りなんかもね、どうだろう?って相談されればね、その嫁さんになる人の住んでいる町内の頭んとこ行って聴いてくる。大店の旦那さんの枕元までも入っていかれる。店半纏もらって、店の者扱いになってしまう。

★そんなところまで。う〜ん。すごいですね。
そんなわけでね。町の全般的な使い走りをしているのが鳶で、その中でお祭りでありお正月の門松があるんですよ。年中行事に鳶は欠かせない。今だって学校の運動会があれば校長先生に頼まれて、テントや幕を張ってますよ。
我々は町の人たちを旦那って呼ぶ。そのくらい一歩下がっている。えこひいきはしない。ここんとこ間違うといけないんだけど、「頭が仕切ってる」って時々聞くけど、違うんだよね。あくまでも旦那衆が基本。私らが仕切っているわけではない。ただ、お祭りが近づくと道具を調べて神輿を飾るお仮屋を作って、祭りが終わると、我々がしまってね。この次に使う提灯が傷んでいればそれを新しいものにかえて、次の祭りに万全にしておく。でも予算の関係もあるし、今は町会の人が来てやってる町もあるよね。時代だね。
町鳶も町に住んでいられないわけもあるのよ。開発になってね。私ら表通りはいらない。路地の奥でいい。ここいらも開発の波に洗われているしね。でも町鳶は町にいなければいけないでしょ。大変なのよ(笑)。
我々は町内にいなければ首がないのも一緒。何かあるとき役に立とうとすれば若い衆をそばに置いておかなければいけない。笛を吹けば若い衆が集まるようになっている。
この辺り都心で若い衆住まわせるワンルームマンションは高いのよ。でも町鳶の粋。だけど私は町内の人にはそんな事は言わないから、町内の人はわからないと思うのね。ただ面白おかしく住んでいるんだと思うかもしれないけど、そういうことがあるんだよね。余計なことだけどもね。

新川工業株式会社
★目に見えない縁の下の力持ち的な部分があるのですね。
こっちの個人的なものなんだよね。地域で要望はしていない。町のためにったって、警察がいて消防がいるから関係ないよって言われればそれまでなんだけどね。

★天皇陛下から黄綬褒章を貰われたそうですね。その辺りの話を。
30代の頃にね。いつまでも地べたにはいつくばっていてもしょうないから、鳶の社会的地位を向上しようって。鳶とか大工の職人は戦前は税金がなかった。学者の人たちも勘違いしている。町民というのは大通り筋で商いをやっている税金を払っている人。武家と町人は人間でその下の職人はそれはもう勘定に入っていない。それでずっと来ている。そこで地位向上をしなければいけないということで組合活動が始まってくるわけ。江戸鳶職組合から鳶工業会。それを全国に呼びかけて連合会になってね。それで30歳のときから組合活動に入って、鳶の専門校作ったりしてもうかれこれ40年くらいやっている。だからその社会的な貢献でね貰ったわけ。

★鳶をやっていて一番印象に残っていることってなんですか?
こっちの10の想いが1つだけでも伝わったときは嬉しいね。ああ鳶頭が早く来てくれた、良かったなってことがあればこっちはいろいろなことで生きがいを感じるんだよ。そんなことが町鳶としての使命なんだよね。

★町の人が喜んでくれる、ということが一番嬉しいことですね。

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