下町の顔 | FACE |
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★どのような修行でしたか? 私はちょっと変わっているんで(笑)。ただ時計を習うというよりも、私が一番考えたのはそこの家庭の一員にならなければ仕事は覚えられないということでしたね。特に私は小僧としては出足が遅れていますよ、20歳を過ぎてましたからね。ゆっくりはしていられない。でも、私は急がば回れだと思って、それには旦那さんが使ってくれやすいようにならなければならないと考えたんですよ。
一家の中で一番大事なのは奥さんだから、奥さんにかわいがってもらおうと子供さんのお守りから飛び込んで行った。仕事はそれからでいいと。当時、配給というものがあってそれを取りに行かなければならなかったのね。学校広場なんかにお芋とかお米とか来るわけ。それを私がとりに行く。ただ取りに行くのではなく、近所のみんなにも、私という存在を知ってもらいたいからね、荷車まで借りてね(笑)。荷車貸す人は「てめえのところの分だけかついでこい」って言うんだけど、こちらは目的があるから「まあそうはいわずに貸してくれ」って。近所の分も10軒くらいもらってきてあげちゃう。そうすると近所の人もお宅の小僧さんにお世話になったとお礼に来るでしょ。 皆から大事にしてもらうには自分から苦労を買って出て行かなければ駄目だ、ってそんな小僧時代でしたよ。 ★修理の方法は教えてもらえるのですか? 教えてもらえないですよ。全部自分で研究をした。仕事というのは教わるものでなく自分で研究して、旦那さんのやっているものを盗むんです。 ★任されるようになったのはいつ頃からですか? もうずっと任されぱなしですよ。放っぽられぱなしだもん(笑)。入れ歯の金とか古物とか売りに来るのも自分のお金を出して買って、自分で覚えるわけ。明治天皇さん、高松宮さん、昭和天皇さん、みんな修理しましたよ。 ★昭和天皇の時計はどのようなものだったんですか? 昭和24年のことだったんですけど、まかなくてもいい置時計の修理でした。 人間の能力を加えないで動く時計なんですよ。原子時計と書いてあるけれどもアトムというのです。宮内庁からこの時計の修理を依頼を受けたんですよ。置時計で、しかも自動でまける……、考えましたね。普通だったら、電池じゃないんなら振動を与えることによって、ベアリングでゼンマイを巻く、ゼンマイが入っていることは間違いない。ところがそれをどうやってまくのかを考えなければいけない。 原子時計は気温というのがあるのね。気温差でいろいろ調べたらアコーディオンのように蛇腹で伸び縮みするようになっていて、そこから、ぜんまいを巻けるところをチェーンで引っ張ってあるわけ。だからこの中に気温の差に敏感なものが入っているのだろうということはわかった。さて、今度はそれが何だかわからない。また研究しなければならない。あれこれ調べたら麻酔薬にたどりついたのね。麻酔薬はすごい膨張率がある。塩化エチ―ルです。今ライターに使っているボンベですね。塩化エチ―ルは医者しか扱えないので近くにあった家田さんという先生に頼んで、その注射器で注入してもらった。 ★困難に行き当たっても楽しそうですね。この仕事が本当にお好きなんですね。 好きでやっていましたね。性格的に何事も徹底してやる。だから困る(笑)。凝り性。それでいてそのほかにも町会の仕事から何から10個以上やっている。好きな時計の仕事をする暇もないくらい。若い頃は夜明かしも平気でした。今はね、年をとってきたから体に毒だからそんなことしないけど。同業者の仕事だけではなくて日本全国から、直らない時計が来る。ネットで知ったとか博物館で知ったとか。それで持ち込まれるものは普通の時計屋さんでは見たことないようなもの。だから今でも楽しいですね。 ★細かい仕事ですが目は悪くなりませんか? いや人間って使ったら悪くなるということはないのよ。使わなければ駄目よ。
初めはいじめられましたね。兄貴がね、5歳上で小学校6年生の時に私は一年生。兄貴は巾を聞かせていたから兄貴が卒業してしまったら、こんどは私が目の敵にされた。 でもね、それとは別にそのようにいじめられた人にでも、私は、先に国鉄に入社していたので国鉄に入れるように尽力しましたよ。いじめっ子でも、そういう人たちからも尊敬される人間になろうと思いましたね。私は変わっているから(笑)、何か変わったことがやりたくてね。ポイント磨きって、レンガで磨けば鏡のようになる。それも休み時間にやる。そしたら管理局が来てね。駅長は鼻高々だよ。こいいう駅員もいるよと。それでかわいがってもらいましたね。精勤賞貰うくらい一所懸命働きましたけど、楽団作って遊ぶようなこともしましたね。 ★下町の話を少し。どうですか亀戸に住まわれて。 この辺は本当の下町であるためによそ者と言われたこともありましたね。私はそれを言われた時に少し落胆したんだけどね、いつかは土地のものになれるだろうと、女房にも遠くの親戚は役に立たないんだよ、近くの他人が大事だよと言ってきましたね。町会の仕事も率先して飛び込んで、一所懸命やりすぎて、店ほっぽっているときもありましたよ。でもここに住まってよかったと思ってます。 ★下町感みたいなものありますか? 下町は、町全部で皆が家族という考えでなければいけないと思いますね。 ★最後ですが、恒例の座右の命をお聞きしたいです。 特別にはないですよ。言葉としてはね。焼け野原の東京に来たでしょ。自分の道をどのように開拓していったらいいかと思って生きてきましたね。それで自分の頭のハエだけは何とか追えれば、後は世のため人のために働くのが私の趣味でもあるんだね。はははっは、それでいいよ。お金なんか、持って死ねるわけじゃない。古時計の修理や復元を頼まれたり、講演を頼まれたり、やれるだけの事は今後もやっていきたいと思っています。 古典時計協会の生き字引のようだからって、名誉相談役にまつり上げられているけど、ありがたいことですよ。本当に。 室井さんの闊達な弁舌。話のテンポが早くて、おたおたしていると置いていかれてしまいそうでした。その辺に無造作に転がしてあった部品を鳴らしてもらいました。カリオンというリンを叩いて音楽を奏でるものでオルゴールの走りだそうです。450年前のもの。時を越えて、とても心地のよい音が耳に残りました。 |
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※2003年10月収録 |
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