下町の顔 | FACE |
|||
|
2.「人が好き」
★下町タイムスさんをやられている醍醐味というのはなんでしょうか? いろいろな人に会うことですね。垣根なく会えますからね。また人が好きでないとこの仕事はできないですね。 ★下町だから人に会いやすいということはありますか? ありますね。ネーミング勝ちということもありますね。垣根がないのも長屋の発想と言いますかね。昔の長屋の暮らしがDNAでつながってきているんですよ。前振りも後振りもなくて直球で人と相対することが出きるそんなところが下町にはあります。 ★取材で難儀したことはありませんか? 難儀ではないけど、こっちが忙しいのに引き止められて何時間ということはいっぱいありますね。まだいいじゃない、ご飯食べようよって延々引き止められたことありますね。 芸能の話を取材したときは、かっぽれくらい踊れなきゃって強引に習わされそうになったこともありますね(笑)。 ★下町探偵団はインターネットの立場からの情報発信ですが、4月からレインボーエフエム江東もはじまりますね。他のメディアの地域情報に関しては何か思うことはありますか? 情報を発信できるところがお互い連携しあって、下町融合団のようにしてやりたいなぁと思いますね。情報は、今、マスコミが押さえすぎていますね。ほとんどの新聞が同じことしか言わない。そういう状態だからこそ小さい媒体が好き勝手に言える雰囲気が出てきて欲しいと思いますね。またそうならないと日本は良くならないと私は思います。 問題意識がある人がどんどん言えるような形にならないと、危機を感じますね。本当は小学校の学年単位で発行されてきてもいいくらいですよ。日本はミニコミに対して公的援助がない。外国では非課税とか補助とかあるんです。お寒い状況だと思いますね。 ★では高橋さん個人のお話をうかがいます。専門はなんですか? 編集関係が多いですね。早稲田の探検部に吉村作治さんのグループがあったんですね。 大学在学中にそこにかかわっていて、産経スポーツでも、当時、街角探検のコーナーがあってそこにも行って面白いネタを集める企画とかやっていました。そこらへんのつながりで講談社の百科事典の写真収集っていうのをやったんです。著者の意向で動くんですが、"ない写真"を撮ってこいっていうんですよ。河童とかね(笑)。"朝顔の何月頃の写真を持ってきて"とかね。これが結構面白かったですね。それがマスコミや出版に入ったきっかけでしたね。 編集関係以外では名刺は20くらいありますよ。学校の教員、某企業のライター、医療関係の仕事、ちゃらんぽらんクラブの代表(笑)。まあ遮二無二生きてもしょうがないですから、ちゃらんぽらんにどんな問題でも引き受けて、集まって雑談して、飲んだり食ったりして、年会費なしで適当にアバウト。本当にいろいろやってますね。
仕事と生活が一体化しているところということでしようか。例えば下町はシャーリング屋さん多いですね。鉄板がいつ切れるのかなぁと見ているとか、提灯屋さんがあれば、貼って塗っているところをあきずにうまいなぁと見とれるとかできますね。要するに下町とは大人の働く姿が見える場所。それが無くなったら下町じゃないだろうなと思う。 仕事と生活、仕事と人が結びついて町が理解できるわけですよ。魚屋さん八百屋さん辞めちゃって、魚をさばくところも見られないですよ。スーパーで切り身でしか魚を見られない、お金を稼ぐためにどんな苦労をしているのかを見ることができない今の子どもは、かわいそうですね。 ★高橋さんはどんなお子さんでしたか? 三人兄弟で姉私弟と、一番損なポジションにいましたね。遊びは何をしていたかな。今のようにファミコンはなかったから外で遊んでいましたね。鬼ごっこ、缶蹴り、けん玉、ビー玉、めんこ、いろいろやりましたね。近所にいじめっ子がいまして、いじめられてたほうですけど、喧嘩には勝つほうでしたね。石を使ったりバッドを使ったり、ルール守らないですからね。絶対勝つ喧嘩ですね。幼稚園の頃から僕は喧嘩しないほうがいいと自分で思ってましたね(笑)。 3.座右の銘 ★最後の質問ですが座右の銘は? ないですねぇ……まあ、『無駄な衝突は避ける』ということかな。争って良くなるならいいけれど、そうでなければね。したくないですね。 素人はだしのインタビューに対して、編集者らしい無駄のないトークで分かりやすく話してくださった高橋さんでした。下町をこよなく愛する高橋さんは、高齢化の波で、ともすれば後継者がいなくなってしまう職人さんの世界を何らかの形で守っていきたいとの想いも、最後に語られました。『町と人とが一体化しているのが下町』、という高橋さんの言葉が印象的でした。 |
||||||
※2003年3月収録 |
||||||
<<前のページへ |
|