下町の顔 | FACE |
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第6回 『平安閣・人生の節目立会人』 |
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東京平安閣 代表取締役社長
小泉 宗孝さん |
JR錦糸町駅と亀戸駅の中間あたり、京葉道路に面した、東京平安閣を訪ねました。 正面の自動ドアが開くと、ふんわりとしたじゅうたんが敷き詰められた明るいロビー。そこに結婚式の一団が華やかな円を作っていて、幸せ色を放っていました。もう何十年も前になる自分の結婚式のことをちらりと思い出しながら、案内の人に導かれて2階へ。途中ですれ違う社員の方々がとても礼儀正しくて気持ちがいい。控えの間の入り口で、背筋をピンと伸ばされた代表取締役の小泉宗孝さんが笑顔で迎えてくださいました。 ―――――――――――― 1.もののない時代に互助の気持ちで ★平安閣とは全国的にもよく見聞きしますが、どのような形態なのですか? 一時は全国に150施設以上ありましたけど、今は平安閣のネーミングそのものを変えているところもありますから、『平安閣』の名称は47施設です。仲間同士で会を作って情報交換などしていますが、経営は独立採算制になっています。
★平安閣は一種のブランドのようなもので誰でも知っているものだと思ってましたけど、案外少ないですね。互助会や、新しい形態の事業もやられていますが東京の平安閣さんがやられているのですか、それとも全国的に? 全国いろいろありましてね。オリジナルではなかなかできないです。 昭和62年にこれからの冠婚葬祭互助会はどうしたらいいのだろうか、ということから始まりましてね。 会員さんがたくさんいらっしゃるので、情報源が豊富な筈です。それでお客さんの現実の状態をリサーチしまして、単に冠婚葬祭のその時のみだけの需要ではないだろうということになりました。高齢者の在宅ケアなども必要不可欠の時代が見えてきて、民間救急の必要性が出てきた訳です。入院するよりも在宅でケアされたいという要望が多いんですよ。で、在宅ケア研究会というものが出来て、そこで介護用品の販売を始めたんです。在宅ケアのメニューは非常に多いんですね。介護用品の販売レンタルだけではなくて、ホームヘルプだとかまたはケアマネージャーがプランを作りますので、それに従って細かな配慮をしていくんです。民間救急、住宅改造なども入ってきて事業になっていますね。 ★会員を募ってお葬式の積み立てをするというのは、当時とても新しい感覚だったんだと思うのですが、互助会の始まりはいつからですか? 昭和23年に横須賀の西村熊彦さんが始めたんです。西村さんはもともと葬祭業をやっていた方ですが、当時はなんと言っても戦後でまだ物がない時代です。皆さんから掛け金をお預かりしてその掛け金でご葬儀の祭壇などを購入し、メンバーの方に安く使ってもらえるようにしたんですね。これが『互助』という言葉の始まりです。 それから結婚式の衣裳。レンタルに相当する部分を掛け金に充当ということで、その西村さんの発想の素晴らしさは、当時の朝日新聞にも取り上げられましたよ。 ニュースが出た昭和28年に、名古屋の山本信嗣さんって方がそれを見て、まず名古屋で組織化されたんですね。そして全国に広まったんです。山本さんが名古屋の平安通りに結婚式場を建てて、それで『平安閣』というネーミングにしたんですね。 その名前がいいものですから、連盟に登録している人は山本さんにお断りしてその名前を使っている。うちもそうですね。 全互連というのがあって、全国各主要都市に一つずつということが決められていまして、同じ都市でやりたい人が出た場合は平安閣の名称は使わずに、玉姫殿とか高砂殿とかになっていますね。うちは昭和39年創業です。自分たちから始めたいと思って。 ★誰でもできてしまうんですか? 以前はね。でもね互助のシステムは大変ですよ。会員さんを募集するでしょ。募集するにあたってはセールスマンに手数料払います。しかし会員さんに冠婚葬祭があるのは二十何年に一度。掛け金はお預かりするだけで売上げにはならない。会員さんを集めても維持しなければいけない時期があります。それを持ちこたえ初めて何とかやっていかれるかと。
2.時代の移り変わりに沿って ★東京オリンッピクの頃のちょうど高度成長に合わせた時期に始められましたね。時代の動向のメリットはいかがだったでしょうか? そうですね。結婚式場は昭和44年にまず深川にオープンしたんですが、その時はすごかったですね。5階建ての建物でそんなに使わないんじゃないかということで4階までしか式場を作らなくて5階をアパートにしました。そしたらものすごい予約がありましてね。急遽5階を改装して宴会場にしたくらいです。時代という意味では団塊の世代が結婚式を挙げるときとぶつかりましたね。 ★深川平安閣ができる前は集会場とか神社とかで結婚式をしていたんですよね? そうですね。昭和2、30年頃はある神社では結婚式を挙げる人は年に2、300組いたそうですよ。近年は一年に5組くらいだそうです。神前結婚式の激減ですがその反面チャペル式が増えました。キリスト教の信者でなくとも挙げますが、やはり着物文化が衰退した影響もあると思いますね。 媒酌人の激減も目立ちます。打ちかけも少ないですね。日本古来の伝統は何とか育ててもらいたいと思うんですけど。 ★仲人さんが無いということは、どうなるんですか? そうですね。チャペルでは出番もありません。披露宴に移ると仲人さんが新郎新婦さんの両側に座ってお二人の紹介をしたものですが今はあまりやりません。司会者がやる場合が多いですね。紹介すらしないで主賓の挨拶に困る披露宴もあるくらいです。 ★下町は家やしきたりに縛られている部分があると思えますが、そこにすら新しい風が吹き込んできたということでしょうか? そうですね。しきたりにこだわらず、いい意味では伸び伸びしてきたと言えますけどね。 |
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