下町の顔 | FACE |
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第5回 『商店街連合の青年部長』 |
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人形焼 山田家 社長
山田 昇さん |
瀟洒なホテル、デパート、音楽ホール、そこに向かう着飾った人々の間を、競馬新聞片手のおじさんたちがすり抜けていく。駅の広場には若者の青空ライブも登場しはじめた。大通りより一つ後ろの路地に入ると、異国語が飛びかう。混沌とした町:錦糸町だが、刻々と人の波が入れ替わっていきそこから活気が伝わってくる。そんな錦糸町を商店街活動を通して支えている山田さんを訪ねました。 ―――――――――――― 1.錦糸町の発展とともに歩んで ★錦糸町の商店街の歴史、そのあたりからお話を? 最初に錦糸町商店組合があって、その後、近隣を合併して錦糸町商店街振興組合というものになりました。もうずいぶん前ですね。 ★商店街自体は戦前とか? 東宝の創設者の小林一三さんが、『西の有楽町・東の錦糸町』ということで映画街を、と。繁華街を作ろうとそういうことでスタートしているんです。
★昔、副都心計画というものがありましよね? そうですね、行政は西高東低で冬型だと言うんですよ(笑)。西ばかり力を入れて東には力が入らない。新宿のほうばかり伸びますね。何故そちらばかり伸びてこちらは置いていかれるのかと。でもまあ縦のアクセスができましたから。3月に半蔵門線の開通で、やっとですね。我々はこの8号、11号はもう何年お願いしたか・・・。本当は景気が落ち込まないときに来てもらいたかった。けれどアクセスというのはもろばの刃で、来るお客さんばかりの計算ではなく、流れるお客さんもあることを考えないと。便がいいということは出易いことにもなりますからね。地下鉄が来たからって安心していると、皆が銀座のほうに行っちゃう。商店街はしっかりしなくちゃ。 ★錦糸町も衰退の波を受けた時期がありましたね。デパートがきて様変わりしていったような気がしますが? 大正12年、現在の丸井のところに市電(当時)の錦糸掘車庫が出来ていたんですが、都電が廃止されるとともに空き地になったんです。そこへ我々が、秋元(故人)町会長さんを中心にして、百貨店誘致に力を入れたんです。駅ビルはすでにあったんですが、デパートでないと駄目だ、と。で、丸井さんが来てくれた。その後に西武さんも。スーパーは駄目、百貨店形式でないと。 ★大規模店誘致は珍しい例ではないですか? そうですね。普通は来るなでしょ。僕らは"来い"ですから(笑)。百貨店ならいい。 ★デパートが来ると、商店によってはつぶれてしまうことはあるんですか? ありますよ。業種によっては。ある意味冷たいようですが、仕方ないですね。 ★チェーン店も商店街の中に多くなる時代ですね? チェーン店は原則的に反対です。チェーン店は町としての我々が大切にしていることに協力をしてくれない。商店街にも町会にも入らない。すると地域社会が壊れていく原因になるんです。商店街は地域の安全、文化の伝承という意味で地域社会を守っている。この土地に対して責任を持っている。地域社会が壊れて分けの分からない人が多くなったら、地域の治安を今の警察力では対応できなくなる。我々が頑張って住んでいるから守られているものがある。チェーン店は採算が合わなくなるといなくなってしまう。周りの小さな商店を駄目にした上で撤退するから町が廃頽してしまうんです。無責任ですよ。 ★でも来てしまうことは防げないですよね。その辺の対応は? 現状では我々に規制力ないです。でも将来的には、商店街憲章的なもの、条例的なものを作れたらいいですね。進出した店をしばるんじゃなくって、自由でいいけど商店街には参加してくださいとか、町の美化や安全に協力をしてくださいとか。 ★でもそういうところが他の商店街などでは、考えないところですよね? そうですね。我々の考えが他の商店街に当てはまるとは言い切れないですね。錦糸町が特殊なのではないかと思う。僕らの考え方は、『地域として考えた場合にそこに人が来なければ我々は生活できない』という基本がある。そのためにどうしたらお客さんに来ていただくかを考えなければ。常に。 ★錦糸町は百貨店イメージ以外に、風俗関係、夜のお店の印象も強いですね? 最近はそれでも少なくなってきたんですけど、花壇街とかもありますしね。我々が頭を悩ませている一つの現象でもあるのですが。
★それは商店街にとっては悪いことですか? 細胞の一部ですから悪いということはないですね。だけれどもルール違反はだめです。飲み屋さんが多いのはいいけれど風俗は商店街としては困ります。普通の呑み屋さんは昔からありましたし、それは町を形成する細胞の一つですから。まあバシッと線を引けないところがあるんですね。 ★ある部分が困るんですね? 具体的には? 例えば客引きですね。客引きがいると歩く人がその通りを避けることになりますね……。苦しいですね。ただ秩序ある街でありたいとは思いますね、表では買い物ができるようなお店があって、裏ではもうちょっと違うようなことを求めている方もいる。それでいいと僕は思いますけど。 ★錦糸町の発展について商店街としてどのようにされてきたかを教えてください? 河童祭りとか河内音頭とか、いろいろやってます。河内音頭は呉さんという人が二階を劇場にして個人的にやられていたんです。でも広いところでやりたいとゆう事で、当時の墨田病院の空き地に大阪から歌う人を連れてきてやりました。来年は高円寺の向こうを張ろうじゃないかと、JRのプラットフォームから見える四ッ目通りとダービー通りとで大掛かりな仕掛けでやる予定です。 ★JRが通ったという事も町が大きくなった要素でしたね? 昔は娯楽はなかったですからね。普段でも人が来る要素があった。映画館もあったから。我々子どもの頃は10時半過ぎると錦糸町はまた人が出る。映画がはねてね。映画の活況で助かっていた。しかし今は、レジャーも多様化していますからね。 ★亀戸はサンストリートができて街のイメージが変わってきたと思うのですが、精工舎の跡地がどう変化するかの影響は? はっきり言って集合施設ができることは脅威ですよね。ただ人がいっぱい来ますから、それを商店街にどう引きつけるのかは、我々の自助努力だと思いますね。何でも駄目だという考えよりも、人が来たら引っ張ろうという考えのほうがいいですね。だから一つの店がどうのこうのという時代じゃないですよ。お客さんの方だって求めているのは一つの目的ではない。食べる、買う、楽しむ、いろいろな要素、総合的な楽しみが集まっているところがいい。しかも家族それぞれの休日の目的が成し遂げられるところ。商店街は商店街でがんばらなければいけないと思いますね。 |
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