|
元禄15年(1702)12月15日早朝、大石良雄を首班とする赤穂浪士の一行が、本所松坂町(墨田区両国3)の吉良邸討入後、一ツ目通りを引き揚げの途中、乳熊屋で休息し甘酒の接待を受けたといわれています。
この由来を記した赤穂浪士休息の碑(80cm師×1m)が、昭和38年株式会社ちくま味噌によって会社入口に建立されました。碑文によれば、討入本懐を遂げた義士たちが永代橋へ差しかかったとき、ちょうど上棟の日だった乳熊屋味噌店では、店主作兵衛が一同を店に招き入れ、甘酒を振る舞い労をねぎらったといわれています。また、赤穂四十七士の一人で俳人としても有名な大高源吾は、ちくま味噌初代竹口作兵衛と其角の門下として俳界の友であったとも伝えられています。 |
▼このページはプリントアウトを想定して作ってあります。おでかけの際はプリントしてお持ち頂くと便利です。 |