芭蕉由緒塚の碑

所在地
台東区清澄3-4-6 臨川寺内
電話番号

観覧料
無料
交通案内
電車の場合都営大江戸線「 清澄白河 」駅 徒歩1分
バスの場合 (門33)「 清澄白河駅 」下車 徒歩1分
(秋26)「 清澄白河駅 」下車 徒歩1分
 前回、臨川寺の「芭蕉墨直しの碑」を紹介しました。今回紹介する「芭蕉由緒塚の碑」は、その隣に建っています。
 臨川寺は、開山仏頂禅師が土地問題の訴訟のため、鹿島の根本寺から江戸に上ったときに、ここに滞在し、臨川庵と号したことに始まります。その頃、芭蕉がここに参禅し、仏頂禅師と親交しました。芭蕉が亡くなったとき、仏頂禅師が芭蕉の位牌をつくり、臨川寺に安置しました。
 そのような関係から、神谷玄武坊が京都双林寺の鑑塔をここに写し、建てました。そしてその由来を記した石碑が、「由緒塚の碑」というわけです。
 この碑も、戦災で破損しましたが、昭和37年に再建されました。その碑文は、つぎのとおりです。(拓本は、再建以前の碑文)「掘此の臨川寺は、むかし仏頂禅師東都に鏡をとどめ給ひし旧跡也、その頃ばせを翁ここの深川に世を遁れて、朝暮に往来ありし参禅の道場也とぞ。しかるに、翁先だちて卒し賜ひければ、禅師みづから筆を染て、その位牌を立置れたる因縁を以て、わが玄武先師、延享のはじめ、洛東双林寺の墨なをしを移して、年々三月その会式を営み且、梅花仏の鑑塔を造立して、東国に伝燈をかかげ賜ひし、その発願の趣意を石に勒して永く成功の朽ざらん事を、更に誌すものならし」
 文化坊応一 以中坊待頁楚石坊四睡

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