| 紀伊国屋文左衛門(紀文)は紀州(和歌山)の出身で、若いとき江戸に出て材木業を営みました。紀文は商才に富み、大老柳沢吉保や勘定奉行荻原重秀と結び元禄期の建設ブームの波に乗って、材木豪商となり、土木建設の工事をひき請け、財をなしました。柳沢失脚後は没落し、門前伸町一の鳥居付近に住み、享保3年(1718)1月2日54歳で没し、成等院に葬られました。紀文の墓は、左隅にありますが、正面の大きな紀文の碑は、昭和38年建てられたものです。 元禄8年(1695)大島3・4丁目に創立された羅漢寺の五百羅漢2体を、紀文が寄付し、その寄付帳が、目黒に移転した羅漢寺に残っています。 |
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