紀伊国屋文左衛門の墓

所在地
江東区三好1-6-5 成等院内
電話番号

観覧料
無料
交通案内
電車の場合都営大江戸線「 清澄白河 」駅 徒歩3分
バスの場合 (門33)「 清澄庭園 」下車 徒歩1分
(秋26)「 清澄庭園 」下車 徒歩1分
紀伊国屋文左衛門(紀文)は紀州(和歌山)の出身で、若いとき江戸に出て材木業を営みました。紀文は商才に富み、大老柳沢吉保や勘定奉行荻原重秀と結び元禄期の建設ブームの波に乗って、材木豪商となり、土木建設の工事をひき請け、財をなしました。柳沢失脚後は没落し、門前伸町一の鳥居付近に住み、享保3年(1718)1月2日54歳で没し、成等院に葬られました。紀文の墓は、左隅にありますが、正面の大きな紀文の碑は、昭和38年建てられたものです。  元禄8年(1695)大島3・4丁目に創立された羅漢寺の五百羅漢2体を、紀文が寄付し、その寄付帳が、目黒に移転した羅漢寺に残っています。

▼このページはプリントアウトを想定して作ってあります。おでかけの際はプリントしてお持ち頂くと便利です。