セメント工業発祥の碑

所在地
江東区清澄1-2-23
電話番号

観覧料
無料
交通案内
電車の場合都営大江戸線「 清澄白河 」駅 徒歩4分
バスの場合(秋26)「 清澄1 」下車 徒歩1分
明治8年5月、政府の工部省工作局は、日本で初めてセメント製造に成功しました。現在、太平洋セメント(株)(清澄1丁目)にある本邦セメントエ業発祥の碑は、その創業を記念し、同社が建てたものです。明治政府は「殖産興業」の政策により、各地に近代的工場を設立。江東区内にもこの一環として、仙台蔵屋敷跡(清澄l丁目)にセメントエ場が建設されました。初めは「摂綿篤製造所」として内務省の所管でしたが、のちに工部省に移管され「深川製作寮出張所」と改称、前述のように日本で初めてセメント製造に成功しました。最初、セメントを試作したときは、仙台堀川の川底の粘土を原料としたといわれています。 工場経営の赤字と西南の役で財政が窮乏したため、政府は明治14年から、各地の官営工場の払い下げをはじめました。浅野総一郎は、このセメントエ場の払い下げを熱望し、渋沢栄一に働きかけた結果、明治16年9月に官有民営として払い下げを受けました。翌年9月には、土地建物設備一式を61741円で払い下げを受け、民営の浅野セメントになりました。この工場は、設備を拡張し生産を続けましたが、大正12年の関東大震災で焼失しました。戦後、浅野セメント(株)は、日本セメント(株)と改称し、更に平成10年に 秩父小野田株式会社 と合併し、発祥の地で操業しています。

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