新しい横網力士の碑

所在地
江東区富岡 1-20-3 富岡八幡宮本殿裏
電話番号

観覧料
無料
交通案内
電車の場合 営団東西線「 門前仲町 」駅 徒歩3分
都営大江戸線「 門前仲町 」駅 徒歩6分
JR京葉線「 越中島 」駅  徒歩15分
バスの場合 (東22)「 富岡一丁目 」下車 徒歩2分
(都07)「 富岡一丁目 」下車 徒歩2分
 富岡八幡宮本殿裏に巨大な横綱力士の碑があります。その裏・側面に歴代の横綱名が刻まれています。ところが、51代横綱玉の海でいっぱいになり、その後の横綱名を刻むことができなくなったので、58年10月5日、その両側に重さ15トンの二つの新しい横綱の碑を建設しました。これにより、59代横綱隆の里まで横綱名が刻まれました。
 江戸の大相撲は、寛永元年(1624)に初代横綱明石志賀之助が四ッ谷の笹寺(新宿区)境内で興業したのが始まりといわれています。その後貞享元年(1684)勧進相僕の年寄達が寺社奉行本田淡路守の許可を得て、最初に興業したのが、武勇をまつる神社のひとつであった富岡八幡官の境内でした。それ以来毎年大相僕は、富岡八幡宮の境内で行われ、寛政3年(1791)から回向院(墨田区)に移るまで一○○年あまり続きました。このときに現在の相撲の形式ができたもので、相撲道の発展の上から重要な時期でした。また、富岡八幡宮では明治時代まで花相撲僕が興業されていました。
 横綱力士の碑は、募末の名力士12代横綱陣幕久五郎が引退後中心となり、伊藤博文をはじめ政財界の名士の寄付を集めて、明治28年3月、大相撲発祥の地の富岡八幡宮に高さ3.5m、幅3m、厚さ1m、重さ22トンの巨碑を建設したものです。
 現在に比べ昔の横綱力士の人数が少ないのは、当時最高位は大関で、大関の中で抜群の力量と品格を兼ねそなえた力士だけに与えられた称号だったからです。

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