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松尾芭蕉は元禄7年(1694)10月12日、大阪で亡くなりましたが、遺言により、大津の義仲寺に葬られました。
江戸蕉門の杉風、其角、嵐雪、史邦達は、亡師を偲び、芭蕉の落歯と芭蕉自筆の「世にぶるもさらに宗舐のやどり哉」の短冊を長慶寺(寛永7年創立)境内に埋め、塚を築きました。この塚が芭蕉時雨塚です。大正12年の関東大震災後、滅失し、現在は台座の一部しか残っていません。(写真左) 前述の「世にぶるも…亡の句は、芭蕉39歳、天和2年(1682)に吟じたもので、飯尾宗紙の「世にふるも更に時雨のやどり哉」の句をもじったものです。
芭蕉は、宗祗に学ぶところが多かったといわれています。このことは「笈の小文」の冒頭の文で、西行、雪舟、利休と並べて自分の先達として宗祗を挙げていることからもうかがわれます。
時雨塚は、自然石の正面に「芭蕉翁桃青居士」、裏面には、芭蕉の没年を記したもので、その隣に其角や嵐雪の碑が建っていました。文政9年(1826)、平一貞が書いた「埋木の花」にこれらの碑が写生されています。(写真右)また、鵜孟一寧が明和9年(1772)、時雨塚について記した碑もありましたが、これも時雨塚とともに滅失してしまいました。 ※飯尾宗舐(1421〜1502)室町中期の連歌師。諸国を漂泊し、連歌を一流の文芸に高めた。 |
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