■第76回『吉良祭』 |
03年12月04日 |
- 12月14日といえば忠臣蔵の討ち入りの日ですよね。
- 赤穂浪士は両国の吉良邸で吉良上野介の首を取り、現在の一の橋通りを通って永代橋を渡り、泉岳寺へ向かいます。
- このあたりで起こった事件ですから、Sエリアはゆかりの地も多いんですよ。
- 例えば、一の橋通りは赤穂浪士引上道といいます (誰もそんな名称で呼ぶ人いませんけど) 。また永代橋のたもとには赤穂浪士が道中、休憩した店がありその地には碑が建っています。
- そして吉良邸。両国のこの地は公園になり、ちょっとした観光スポットになってます。今回はその吉良邸にまつわる話です。
- 吉良邸は漆喰塀で囲まれたちょっとお屋敷みたいな建物です。
- 正式には「本所松坂町公園」といいますが、全然、公園っぽくありません。中で遊ぶ子供もいません。
- 公園内では、赤穂浪士が吉良上野介の首を洗ったとされる首洗い井戸、お稲荷さん他、、関連資料を見ることが出来るようになっています。
- まあ、公園というより資料館に近いかなあ。
- この吉良邸で毎年、義士祭と吉良祭が催されます。
- 吉良祭は12月の第2土曜と日曜日、義士祭は12月14日です。今年は14日が日曜日だから同じ日ですね。
- 吉良祭の日は元禄市も同時に開催されます。これは吉良邸前の道路で行なわれるバーゲンみたいなもんですね。両国は繊維問屋が多いですからね。けっこう安くいろんなもの売ってます。このあたりの詳しい話を知りたければ『バーゲンセール』(第12話)を参照してください。
- 義士祭、吉良祭ともに、内容としては式典があっって甘酒が振舞われたりする程度で、それほど大きなお祭りではないイメージがあります。
- でも随分と人が出てるんですよ。バーゲンもやってるからでしょうかねえ。
- 但し、去年、一昨年あたりは討ち入り後300周年だそうでかなり盛大でしたねえ。パレードやったり、いろいろイベントやってましたよ。今年は開府400年ですからね。やっぱりいろいろやるんでしょうかねえ。
- さて、義士祭、吉良祭とふたつありますが、何のために2回もお祭りをやるんでしょう。ちょっとわかりづらいですよね。
- 義士祭は赤穂浪士四十七士の供養のためのお祭りです。そして吉良祭は吉良上野介及び、討ち入りで亡くなった20名あまりの家臣の供養のためのお祭りです。
- 何で悪者のためにそこまでやるの。地元だからひいきめにみてるんじゃないの。
- そう言われそうですよね。確かにそれもあるでしょう。でも、そればかりじゃないようですよ。
- 赤穂浪士が主君に忠義を尽くし成し遂げた仇討ちは、庶民の心を掴みます。世論を味方につけ、この事件を題材にした「仮名手本忠臣蔵」は大ヒットし、現在まで語り継がれてます。
- そして赤穂浪士はもてはやされ、吉良は悪役のレッテルを貼られるようになります。
- しかし、実際の吉良上野介像は違うみたいですよ。
- 吉良家の領地があったのは現在の愛知県吉良町ですが、人々に慕われた領主だったそうです。洪水の被害に苦しむ領民のために田畑を整備し直した逸話が残っています。思いやりのある人だったようです。
- 上野介がどんな悪いことを言ったか知らないけど、江戸城でいきなり斬りつけられて、それに対する幕府の裁きに逆恨みした家臣に殺されっちゃった訳ですよ。そういう考え方をすると上野介もちょっとかわいそうですね。
- しかもこの屋敷は幕府から拝領したばかりで、討ち入りにあって没収されてしまいましたので、吉良家の上屋敷となっていたのは1年余りの短期間でした。
- 実は吉良邸は現在は小さな公園ですが、当時はその80倍ぐらいある広い御屋敷だったんです。せっかくのそんな大きな家を追い出されちゃったんですから遺族も災難です。
- 夫婦でこつこつ貯めてやっと一戸建てを買ったと思ったら、交通事故で一家の大黒柱の旦那が即死し、その直後震災で家も焼けちゃった。そんなようなものです。
- 事実なら上野介は死んでも死にきれませんよね。
- 義士祭って泉岳寺や吉良邸だけで行なわれてるんじゃないんです。日本全国ゆかりの地がありますので、いろんな地域で開催されてるんですよ。
- やっぱり忠臣蔵って有名ですものね。四十七士って人気あるんですね。
- しかし悪者じゃなかった吉良上野介を供養する吉良祭を開催しているのは両国だけみたいですね。
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