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下町音楽夜話

◆第270曲(1)◆ 低音の知性
2007.8.25
相変わらずパット・メセニー関連の音源を、あれこれ聴いている。元々パット・メセニーはジャズだとは思ってなかったので、ジャズの系譜を辿っていくことに違和感がないわけではないのだが、しっかりとジャズの歴史の中に居場所があることが面白くもあり、周辺人脈を辿って、同様に惚れ込めるミュージシャンがいるのではと期待もしているのだが、なかなか上手くはいかない。というもの、いろいろと人脈を辿っていっても、結局オーネット・コールマンやチャーリー・ヘイデンあたりに行き着くことになるのだ。オーネット・コールマンはジャズの勉強をし始めた頃に、ものの本でフリー・ジャズを語るときに外せないとあったもので、早くから聴き込んでいたこともあり、それなりに愛着もあるミュージシャンである。また、チャーリー・ヘイデンは、ずっしりと重たいベース音と知性を感じさせる行動が、むしろパット・メセニーを引き合いに出さなくとも、好きなジャズ・ベーシストの上位にくる人間なのである。

そもそも、最近この辺りのミュージシャンのアルバムを集中して聴くことになった原因は、1枚のDVDにあるのだ。それは春先に購入したスタンリー・クラークの「ナイト・スクール」というライヴもので、彼が主宰している若手ミュージシャンのための、スカラシップの資金集めのイヴェントなのだが、あまりにも豪華なゲスト陣に釣られて購入し、大満足したものなのである。スティーヴィー・ワンダーやパトリース・ラッシェンなどを筆頭に、ザ・ポリスのドラマーだったスチュアート・コープランドやらシーラ・Eやら、なかなかそのメンツだけでも楽しめるものである。それに加えて、有名どころのベーシストが大挙して駆けつけ、オールスター・メンバーによる終盤の「スクール・デイズ」でのベース・ソロを回すところが猛烈なハイライトとして、一度観たら忘れられない楽しい内容である。

ベーシスト中心のイヴェントというのは、結構あるものだが、いずれもそそられるほどの魅力を感じたことがなかった。というのも、重低音を競うわけではないが、やはり演奏技術を披露することに終始してしまい、何となく飽きてしまうようなところがあるのだ。このDVDですら、あまり期待していなかったこともあって、予想外に楽しめたといったところなのである。しかし、そこに集まったベーシストの個性がまた凄いのである。誰一人として、似たようなことはしない。ベースというものにこれほど個性を感じたことは、今までになかったことも確かだ。スラッピングやチョッパーなど、いろいろなスタイルで個性を打ち出すものもあれば、ブライアン・ブロムバーグなどは、ベース・シンセで驚かせてもくれた。ただし、登場人物が多すぎるし、個性を出そうとし過ぎる傾向は見受けられたが、みんな観客の期待以上に応えていたようには思うのだ。

しかし、こういう場合、どうしても高速チョッパーなどの速弾きに目を奪われがちで、またそこにさほどの知的な遊びがないことも事実なのである。ピアノの話になるが、以前あるイヴェントに出演したゴンサロ・ルバルカバが、これでもかと猛烈な速弾きフレーズを繰り出してくるのに対して、チック・コリアが"ピーン"と一音だけで返して、ゴンサロ・ルバルカバが、負けたというような表情を見せていたことがあるのだ。さて、ベースの場合、何かこういうことができないものかと期待しながら観ていたのだが、とりわけ何も起こらなかった。強いていえば、マーカス・ミラーがあまりに凄いフレーズの応酬に困った表情を見せながらも、絶妙の間を取りながら、渋めというべき演奏をして見せたことが、それに近いだろうか。いかにも、彼らしいやり方でもあり、絶妙なタイム感とメロディアスなフレーズが、嬉しく思えたものである。マーカス・ミラーは、相当に知的な人間のようだ。

そして、この映像を観たころから、渋めのベースでいいものはないか、ということが頭の中を巡りだし、その結果パット・メセニーとのコラボレーション・アルバム「ミズーリの空高く」での、チャーリー・ヘイデンの印象的なプレーがよかったなあ、ということに思い至ったのである。カントリー・テイストを残した無理のないフレーズで、心地よい音世界へと誘う安定感のあるベースは、何度聴いても新しい発見があり、地味でいて奥深い世界を知らしめている。さて、そうなると、チャーリー・ヘイデンの他のリーダー・アルバムはどうなのだろうということが気になり、いろいろと聴いているというわけなのだ。とりわけ、デュオ・アルバムによいものが多いという印象を持っている人間だが、彼が主宰するカルテット・ウェストというプロジェクトも、古いスタイルのビ・バップなどのなかなか面白いことを演っており、意外にいろいろな面を持っている人間であることが知れる。

特にこのカルテット・ウェストでは、古きよき時代のハリウッドのテイストを全面に打ち出したアルバム、「オールウェズ・セイ・グッバイ」が面白い。いかにもハリウッド映画という音楽とともにフィリップ・マーロウの声が被ってきてそして本編の演奏が始まる構成がなんともスタイリッシュで、ジャズでもこういうことをする人がいるのかと感心したものだ。ロックではコンセプト・アルバムなどその辺にごろごろ転がっているが、ジャズの場合、どうしても演奏を聴かせることに意識が行ってしまうのか、こういったお楽しみ部分が薄いような気がする。必要がないと言えばそれまでだが、やはりこの類の知的な遊びや面白いアイデアに直面すると、変に実力勝負に拘らずにもっと、アイデア勝負もありなのでは、という気になってしまう。もちろん、チャーリー・ヘイデンの実力に疑問を差し挟む余地はない。両方の要素がハイレベルでバランスが取れていてこそ、最大の楽しみがそこにあるように思うということである。

他にどんなものがあるか、気になってデータベースで調べてみると、意外にも、リンゴ・スターやリッキー・リー・ジョーンズなどの、あまりジャズには近くない存在のミュージシャンの名前までが出てくる。予想したとおり、かなり幅広い音楽性を持っているようだ。そして、いろいろなスタイルの音楽に柔軟に対応できる器用さも持ち合わせていることもよく分かった。そして、パット・メセニーだ。パット・メセニーがフリー・ジャズの巨匠オーネット・コールマンを尊敬してやまない人間であることは、つとに有名な話だが、チャーリー・ヘイデンはオーネット・コールマンのバックで随分多くの録音を残していることもあり、どうやら、この辺で自分の好みと一線で結ばれた人脈が見えてきたというわけなのである。時々、常識の枠からはみ出す、この連中の音楽には、まだまだ自分が理解しきれていない魅力がありそうだ。