下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ

トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク

 
【霊岸島 水位観測所】

ここは水彩画家『菅野たみおさん』の絵をもとにして、女性レポーターSORAさんが実際にその場所を訪れて、周辺を紹介するページです。

第6回『出島・海風・新川界隈』 2004/6/1
絵をクリックすると拡大版がご覧になれます

先回は人形町を訪ねました。人形町の周辺には、浜町、堀留、蛎殻町、小網町など、海に関する町名がいっぱいありました。人形町界隈が江戸の南の端の海沿いであったことを証明するものです。
絵の拡大版はこちら
今回はそれよりさらに南下して、海沿いというよりも、出島(埋め立て)そのものの不思議な一角、中央区の新川一丁目、二丁目を散歩することにします。
地図を見ると、新川一丁目と二丁目が、隅田川と日本橋川と亀島川に囲まれた"島"であることが分かります。この島を囲む川には全部で9本の橋が渡っていて、"外界"とつながるには橋以外にないことが分かります。しかもバブルという開発の波に洗われて、とてつもない大きなビル群を抱えてもいます。不思議な地帯です。日曜日や祝日は閑散として陸の孤島、と住んでいる人は言っているそうです。それゆえか、大川端や人のいない路地などは撮影にはもってこいの場所になっています。
今回も画家の菅野たみおさんとカメラマンAさん同行です。菅野さんは白い表紙のスケッチブック、カメラマンAさんは新しいデジカメを買ったとかで少年のようにウキウキとしています(笑)。では出かけましょう。

★本日のメニュー(所要時間4時間)
『東京メトロ東西線・都営大江戸線『門前仲町』→『永代橋』→『中央大橋』→『護岸散策』→『レトロ調民家散策』→『於岩稲荷』→『麒麟麦酒本社』→『亀島橋』→『永代橋』東京メトロ東西線・都営大江戸線『門前仲町』または東京メトロ日比谷線『茅場町』までいずれも10分以内

★出発!
東京メトロ東西線・都営大江戸線『門前仲町』駅より、永代通りを西のほうに歩きます。10分ほどで永代橋に出ます。今日はここが起点です。
永代橋を渡りきると、信号があります。道なりの直線コースは日本橋方面に行く永代通りです。左手に延びているのは鍛冶橋通りです。その手前に、小さい脇道があります。ここに入ります。川に沿った道になります。突き当りを左に折れるとすぐに隅田川が眼に入りますが、道はすぐまた右に折れます。桜並木の川沿いの道。護岸が遊歩道になっていますので降りていきます。
左側が永代橋。永代橋はドイツのライン川に架かっていた鉄道の橋を参考に設計をされて大正15年に新しくされました。透き通った青色でライトアップされる橋は見ごたえがあります。NHKの夜のニュースの首都圏版はここのアップ。
東京は海に行くほど埋め立て埋め立ての繰り返しです。門前仲町あたりは昔は永代島と呼ばれていましたので、そこに行くための橋ということで、この名前がついています。1807年には深川八幡祭りに詰め掛けた群衆が殺到して橋が崩落。大惨事になっています。赤穂浪士が吉良上野介の生首を持って、この橋を渡って行ったことも歴史的事実です。
眼を正面に向けて、え〜と、隅田川をはさんで向こう側は江東区です。ムトウユニパックさん、ヤマタネさんの倉庫も見えます。散歩の絵っせんす第2回目『巽橋界隈』で歩いた越中島公園辺りですね。今日は小雨が降っていますので、やたらニョキニョキ立っている高層ビル群が、霧に煙って素敵です。
この護岸は映画やテレビの撮影によく使われています。2003年江角まき子「マルサ」、2003年「恋は戦い」本上まなみ、それからデカレンジャーやアバレンジャーなどが怪獣と戦う場面などはこのあたりでの撮影。
絵の拡大版はこちら
つい先日も、火曜サスペンスの主題歌「聖母たちのララバイ」の歌について岩崎ひろみさんがテラスに椅子を置いて話していましたが、この護岸でした。絵になる風景です。右側のほうにつり橋のような橋が見えます。中央大橋。くぐります。鳩がたくさん止まっています。橋の曲線を下側から眺めるのも護岸歩きの楽しみです。隅田川を潜水艦のような新式の船が行きます。浅草からお台場に向かう遊覧船です。先方に、三角形の建造物が見えてきました。

★あまりお見かけしない形。なに?
三角形の建造物は正式名を「霊岸島水位観測所」といいます。日本の水準原点を決めるために東京湾の平均水面値を観測するものです。これに基づいて標高××mが決定されていきます。明治時代まではここが使われていましたが、現在、実際の観測所は東京湾の埋め立ての影響を避けて、三浦半島の油壺にあると案内板には出ています。6角形や8角形にも見える奇妙な観測所です。潮が引いて水に浸ったあとの鉄骨には貝類がたくさん張り付いていました。
菅野さんが絵を描いています。絵の中に海鵜が羽ばたいています。ちょっと小雨なので私は傘を差す役目。菅野さんの手がためらいもなく風景をキャンバスに写し取っていきます。そのためらいのなさに驚いていると、「自分の中ではいかにもという風に構えて描きたくないのね。あと、絵を観る人に想像の世界を残すというかね……」。一人ごちのような菅野さんの言葉。カメラマンAさんは海鵜が羽ばたく瞬間を収めようと同じ姿勢で辛抱強く待っています。小雨、霧、川面と陸と空との境界もあいまいで、高層ビル群すら灰色の空に同化しそうです。
絵の拡大版はこちら
中央大橋に上がります。隅田川にかかる橋では一番新しい橋で平成4年に完成しています。佃の大川端リバーシティ21との行き来のために作られました。何本ものロープが張られたような外観は斜張橋と呼ばれています。
橋の中央、永代橋寄りに像が建っています。隅田川とセーヌ河は姉妹川ですから、記念にパリの万国博覧会に出されたフランス人作家による女神のブロンズ像が寄贈されています。命名は「メッセンジャー」。橋からは後姿になります。
メッセンジャーの像を右手にして中央大橋を降ります。
ちょっと余談ですが、立ち位置の後ろ側になる中央大橋の反対側の大川リバーシティ21は、前身が石川島播磨重工業の跡地です。さらに播磨重工業跡地の前身は囚人を保護して手に職をつけさせるための人足寄り場だったそうで、鬼平犯科帳の長谷川平蔵がかかわっていました。そして川のこちら側は八丁堀。八丁堀といえば八丁堀同心で、今で言う警察ですね。中央大橋をはさんで罪人の町と、岡引の住む町が相対している図です。その辺の電柱の陰に岡引がいるような……気がしないでもないです(笑)。
と言ってもですね、中央大橋から新川二丁目の交差点までは電柱がありません。道路に埋め込まれています。電柱が道路に埋め込まれている?いえいえ、電線がデスヨ(笑)。道路はすっきりとして簡素ですが、なんかこう、生活感がない気がするんだなぁ、なじめませんなぁ……。←岡引、オヤジさん風に。では次はお岩さんにご案内します。

絵の拡大版はこちら
★於岩稲荷田宮神社(新川2−20)
中央大橋を降りて次の信号が南高橋。その次の路地を右に曲がります。2本目の路地に出た角がミートランチのお弁当屋さんです。それを左に折れるとすぐ右側に於岩稲荷田宮神社があります。このあたりは見上げなければならないほどの巨大ビルディングの間に、開発に取り残されたと俗に言われる、古い民家が肩を寄せ合うように並んでいます。ミートランチのお弁当屋さんの前の住宅は趣があります。築40年とのことで、部屋の足元のあたりに風穴の小窓がついている家でした。このような様式は今ではもうめったに見られません。
菅野さんは早速絵を描き始めました。窓から小さな鯉のぼり。家の前で植木に水遣りをしていたおばさんにお話を伺いました。「ひっそりした街でしょ。みんなビルになってしまって、家の灯りがもれなくなってしまったから、夜は不気味よ。魚屋さんも八百屋さんもなくて売りにきてくれた人ももう高齢で来なくなったし、この町にはスーパーマーケットがないから、買出しには川向こうまで行かなければならないのよ。ビルで働く人ばかり多くって平日は銀座並みの人込みだけど、週末は陸の孤島って感じよ」。
すぐ隣の田宮神社に入ります。訪れる人もいないような寂しい神社です。於岩さんがどうしてお稲荷さんに祀られているかということですが、むかしむかし江戸時代の頃、四谷左門町に住む至極仲の良い田宮伊右衛門と於岩という夫婦がいました。けれど台所向きが苦しかったので、於岩さんは一所懸命働くと共に、屋敷うちにお稲荷さんを祀って信仰。すると田宮家は栄えたという事で、このことが評判になり、田宮家の屋敷内のお稲荷さんに詣でる人が増えました、というのが於岩さんの物語です。どこにもお化けなど出てきません。