江東活學大學

第7回

<プロフィール>
大学で中国文学を専攻。卒業後教師に。その後、牧師養成の神学校へ。1996年より深川教会牧師。1996年より「カレンの布プロジェクト」にかかわる。
『アジアの布・女性・
子どもたちとの
出会いと関わりから』
木原 葉子さん

講演

●貧しさの中で●
タイ、ミャンマー、ラオス、ビルマ、中国の国境に接している山岳地帯には数十の山岳民族が暮らしています。従来焼畑農業を営みながら10年ぐらいで移動していましたが、1960年代からの政府の定住化政策で焼畑を行うことが難しくなり、数少ない現金収入の一つであったアヘンも禁止され、人々は貧しい暮らしを強いられ、タイ語ができない人々は国籍すら持てず、政府の保護の及ばないところで人身売買も行われてきました。
カレンという民族は山岳民族の中でも半数を占め(約75万人)、もともとチベットまたはビルマ起源の性格温厚の人たちです。1980年代のはじめ、チェンマイから車で6時間の山奥にある33の集落からなるカレンの村ムセキに、インド人女性宣教師のラルテさんが学校の教師として入りました。当時の村は乾季には餓死者が出るほど貧しく、学校を作っても子どもたちは通ってこられない、村を出ていった子どもたちは帰ってこないという状況の中で、ラルテさんは25人の少女たちの寮を作りました。貧しい家庭、麻薬などによる崩壊家庭、親のいない家庭の子どもたちと共同生活しながら学校に通わせ、職業訓練もすることにしました。村の男性と結婚して完全に村の人となったラルテさんの活動は、次第に村の人たちの理解と信頼を得ていきました。

子どもたちに教育を受けさせるためには、村全体が豊かにならなければならないわけでラルテさんはいくつかのプロジェクトを立ち上げましたが、その一つに、カレンの女性たちに伝統的に伝わる草木染め・地機織りと呼ばれる織物プロジェクトがあります。貧しさの中で失われかけた技術をお年寄りから学び、村の女性たちの中に織物グループを作り、寮の女の子たちにも織物を伝え、裁縫の訓練をします。そこには女性たちの手仕事を生かした自立を支えると同時に、民族に伝わる文化を守るという意味もあります。「カレンの布プロジェクト」は80年代後半に、当時タイに住んでいた大津恵子さん(現日本基督教婦人矯風会・女性の家HELPディレクター)という方がラルテさんと出会って、帰国後京都でキリスト教会の組織をバックに始められました。その後大津さんがパートナーの仕事の都合で上京してから、東京方面にも活動が広がりました。教会関係のバザーやイベントなどでカレンの布をはじめとする山岳民族の手工芸品、タイ製品の販売し、その売り上げでラルテさんの活動を支えています。
ラルテさんのはじめた生活寮は、今では The Hill Tribes Resources and Development Center(通称センター)という名称で、男女含め80人くらいの子どもたちが生活しています。男の子たちは大工仕事や農業、車の運転などの職業訓練を受ける他、聖書を学ぶバイブルスクールやコンピューターなどを学びにチェンマイの学校に進む子どもたちもいます。また、村のコミュニティセンターのような働き、時には夫や妻を失った家族を受け入れるシェルターとしての役割も果たしています。

●生きる自覚を●
 センターの子どもたちの生活は朝の祈りにはじまり、夜の祈りに終わり、キリスト教信仰に立って、カレンとして生きる自覚を持たせる教育を大切にしています。村の人々の間でもキリスト教はとても盛んですが、もともと山岳民族の人たちに伝わるのはアニミズムの信仰でした。共同体の結束を強めるために、年に一度のお祭りに全財産を使ってしまうので生活は向上しません。貧しくなるとお祭りをする余裕も無く、共同体自体も無くなって行きます。都会に出ていった山岳民の人たちは差別され、労働力を買いたたかれ、観光の目玉として見せ物のようになります。そのような人々にとって、キリスト教の一人一人の命は神さまから頂いた大切な命だというメッセージは重要な意味を持っています。子どもたちも与えられた大切な命だから売ってはいけない、あなたたちの持っている文化は素晴らしいものだからそれを大事にしていかなければならない、とキリスト教の教育を通して、一人一人の、また民族としてのアイデンティティを支えています。
 98年から、学生向けのスタディツアーを始めました。わたし自身、学生時代にフィリピンに研修旅行に行く機会を得て、貧しい中にも、子どもたちの教育や女性たちの自立のために生き生きとコミュニティ活動を展開する女性たちの姿に大いに刺激を受けた体験から、若い人たちにもカレンの人々に出会い、少しでもプロジェクトの活動に参加してほしい、問題点も含めてわたしたちの試みを共有して欲しいという思いで始めたのですが、学生さんたちは日本にないもの、日本では失われた人々の触れあいや温かさに感動して帰ってくるようです。村のホームステイ先で、記念に布のバッグを織ってもらったり、民族衣装を作ってもらったりして、消費文化の中で何もかも失ってきたわたしたちに比べて、民族に伝わる伝統文化を受け継いでゆくことの豊かさを感じ、日本に生きる自分自身の生き方を見つめ直す機会にもなるようです。
 今後の課題は、一つは今の経済状態の中で、いかに布を売って行くかということです。伝統文化を守りつつ、売れるものを作らなくてはいけない。巷でもアジアンブームで雑貨屋さんが増えていますが、単に売れればよいと言うのではなくて、山岳民族の人たちの文化と現在の状況も含めてお知らせしながら、そこの女性たちが命を紡ぐようにして織ってきた布を紹介し続けたいと思います。第2には、医療面・農業面での継続的な人的サポートです。衛生状態が悪く、保健所もあまり機能していない現状の中で、最低限の保健設備を整えること、水源を確保しにくい山岳地帯で自給率を上げてゆくことは重要な課題です。第3には、ムセキ村から周辺の山岳民族の村々へいかに活動を広げられるか、ということです。最近センターのスタッフがミャンマーとの国境地帯の難民キャンプや周辺の貧しい村々に派遣され、新しい支援活動を立ち上げていますので、見守り続けていきたいと思っています。

質問コーナー

Qどんなものを食べていますか?
お米を主にして小松菜のような野菜のスープが一般的です。特別なお祝い事の時だけ、高床式の家の下に放し飼いになっている鶏、豚をつぶしてみんなにふるまいます。

Q少数民族で国の片隅に追いやられているのが良く理解できませんが?

タイ語のできない山岳民の人々は、つい最近まで国籍もなく、存在すら知られていませんでした。欧米の人々がトレッキングツアーで訪れるようになってから、政府は観光資源にしようと保護するようになってきましたが、一般のタイ人は教育を受けた人でも、ほとんど山岳民族のことを知りません。これはアジアでは一般的な状況だと思いますが・・・。

Q産業面しか見えてこないが、民族の支援のためということですか?
民族のアイデンティティを支える文化を残すことには重要な意味があると思います。

Q活動をすることによって数値的にそれらが減ったということはあるのですか?
国境地帯の山岳民全体から見れば、減ったかどうかわかりません。むしろ人身売買の状況は全く変わっていないと言った方がいいかも知れません。けれどもセンターの活動を通して400人の子どもたちの命は救われた、ということは言えます。危機的な集落を探し出して、分かったところで支援していく以外に今のところ方法がありません。

Q経済的にまわっていけばそういう人たちは救われるんですね。布を常置する店はあるのですか?
恵比寿にある小さなフェアトレードのお店「ティエラ」に出させてもらっています。

QODAで何かつくろうということはありますか?
ありません。組織が大きくなると、組織の論理に振り回されて人が見えなくなるような気がして、今のところ、宣教師のラルテさんとの個人的な信頼関係で進めています。

Qあなたを動かす燃料は?
信仰です、と言ったのでは答えにならないかも知れませんが。キリスト教の最も大切な教えは「愛し合いなさい」ということですから、世界中にかわいそうな子どもたちはいますけれど、カレンの子どもたちに出会ったところで、関わり続けていきたいと思っています。

Q出会いですね。
そうですね。日本のNGOはまだまだ未熟で手探り状態ですから、誰もが出会ったところで少しずつ力を合わせてやっていけばよいのだと思います。カレンの子どもたちのため、と言いながら、実はわたしの方がエネルギーをもらっているのだと思います。

Q学生のスタディツアーという形でいろいろな計画がありますね。私も少し関わっていますが、少し疑問に思います。スタディという形にも。行けば行ったことで実りはあると思いますが、行ったことで彼女たちの人生に何かは形成されると思うのですが、引率される立場としてはどう思われますか?
今はスタディツアーというのをやめて訪問ツアーと呼んでいます。最近はNGOの活動に関心を持つ学生も増えていますが、今の大学生はいろいろな意味で未熟です。事前に準備会をして関係を作るところから初めて、帰ってきてからは報告会をして、何らかの報告書を出すようなアドバイスもして、と学校の教師のようなこともしています。それでも、今の大学には、授業の一環で現地に研修に行くような企画がまだまだ少ないので、若くて感受性の強い内に、とにかく出会って欲しいと思って連れて行っています。

Qセンターの子どもたちの年齢はさまざまだと思うのですが、ある年齢になるとセンターを出て社会に出て行く形になるのですか?
一応中学校教育まであります。それ以後はどうするかとはラルテさんが子どもたち一人一人と相談をして決めていきます。教育費に関しては、スポンサー制度があって、アメリカや日本のキリスト教会関係者が支えています。

Q先生の裏側で先生を支援しようとしている人はどのくらいいらっしゃいますか?
支援してくださっている人は30人くらいでしょうか。必ず村を毎年訪ねる人は5.6人。

Q活動の費用は?集めて?
布を売って得る収益でまかなっています。年間150万円ほどの売り上げの中から、80万〜100万円をセンターの活動のために送金します。村に訪問する人は基本的にボランティアで、飛行機代の半分はこちらで負担します。売り上げ以外にも、カンパして頂くこともありますが、奨学金にまわしています。

(2003年3月13日収録)要約文責:室井朝子