江東活學大學

第6回

<プロフィール>
アクセス数一ヶ月20,000件の『下町探偵団』オーナー・K−netメンバー。地域のHPを作成する助っ人。好きなものはお酒と甘いもの。
新大橋在住。一女の父。1961年生まれ。
『下町探偵団サイト運営
……下町模様』
鈴木 祥元さん

■講演

『下町探偵団』という地域情報発信のサイトをネットでやっています。
今日は江東活學大學ということなので、江東区の話を主にしたいと思います。
サイトを始めて3年経ちましたが、初めの一年くらいはパソコンの前に座って書籍やメディアから情報を仕入れて、それを元に発信していたんです。しかし一年くらい経ってから、これではある程度の事までしかできないなと限界を感じたんです。それから外に出るようになりました。そしていろいろな人と知り合うようになって、現在ここに座っているのもその結果であろうかと思っています。本業は印刷業ですが、ある意味大事にしていかざるを得ないサイトでもあります。
今日はサイト自体の紹介みたいな話になっちゃいますが、江東区のエピソードを交えながらやっていこうかと思っています。

●下町歳時記●
ここは日替わりで変わるんですが、亀戸天神の藤祭りとか、江東区で生まれた芸能人の誕生日などその日に起こった事なんかが載っています。
皆さんは江東区生まれの芸能人をどのくらいご存じですか?岩崎宏美、華原朋美、山田邦子・・・そんなところでしょうかね。吉幾三さんは『おらは田舎のプレスリー』でメジャーになりましたよね。あれを作ったのは、江東区森下にあるヴェルデという喫茶店でバイトをしていたときだそうです。そんな話が日々載っています。
また江東区に住んでいた歴史上の人物・・・どんな人がいますか?
松尾芭蕉、近松門左衛門、間宮林蔵、伊能忠敬、ジョン万次郎、葛飾北斎、結構いますね。平賀源内なんか清澄町に住んでいましたね。そんな人たちの誕生日とか歴史に残る記録とかも出ています。

●下町の顔●
普段、なかなか会えないような地域の方を中心にして取材しています。第一回目は江東区で一番古い神社の『香取神社』を取材しています。二回目は浅草橋で会社を経営しているベーゴマの名人を取材しています。それからJリーグのロゴマークをデザインした人で、森下在住の方なんかも載ってますよ。
この下町の顔を取材していて思ったのですが、下町気質が無くなってきたといいますが、いまだに残っていることを感じましたね。例えば、東京平安閣は亀戸に結婚式場があって、森下に葬儀場がありますね。他に高円寺などにもあるようで、社長さんいわく山の手と下町を比べると下町のほうがお葬式なども近所の人が助けてくれるそうです。山の手のほうに行くとやはり情が薄れて、隣は何をする人ぞのようですね。こういう方と話していると、ああやっぱり下町気質というのはあるんだなって思いましたね。
下町ってどこからどこですかって、よく聞かれるんですが、江戸時代には下町を決めたことは決めたらしいんですね。今でも文京区あたりに確か碑が立っています。ここから下町って。今では境界線はないような気もします。銀座も下町と言えば下町だし。下町というのは地域で線を引くものではなく、気質、人情の立場で区分しないと難しいかと思います。
大田区、吉祥寺、武蔵小山などの地域的には山の手と呼ばれるようなところでも下町っぽい感じがしますしね。

●無料素材集●
ここは結構アクセス数が多いです。年賀状を作る時など、無料で下町の写真を取り入れたりできますので、どうぞご利用ください。

●ぶらり●
ぶらぶら歩くのには楽しい、という情報が集めてあります。史跡とか博物館とかですね。
その中から今日は相撲部屋の話をします。相撲というと両国周辺ですが、清澄には大鵬部屋と北の湖部屋があって、ここは横綱通りとも言われましたね。相撲で江東区ゆかりの地というと富岡八幡宮の裏のほうに碑が立っています。
昔、相撲は興行としてやってまして、神社の境内で入場料を取って開催し、それを神社の建築費などに用立てていました。これを勧進相撲と言いますが、その始まりが富岡八幡宮ということになっているのです。ただ私の調べた限りでは、四谷のある寺で勧進相撲を先にやっていたという記録があるようですね。
その後、墨田区の回向院で勧進相撲は栄え、この地に国技館ができるんです。だから回向院にも富岡八幡宮のような碑があります。
また墨田区の話ですが、墨田区に野見宿彌神社というのがあります。勧進相撲以前に天覧相撲が行われた記録があるんですが、この時に勝ったのが野見宿彌なんですね。ここにも相撲の碑があります。

●地名辞典●
江東区に大横川がありますが、何故「横」って字なのでしょう。ちなみに墨田区に竪川という川があります。これは地図を見たときに分かるのですが、縦に流れているのに横川、横に流れているのに立川なんですね。なぜかと言うと江戸城から見たときにこのように見えるからそうなったんですね。江戸城はずっと西のほうですから直角にずれますね。だから縦に流れているのが大横川になってしまうんです。

●神社仏閣●
江東区は多いですね。お祭りもたくさんあります。去年も本祭りが随分重なりましたね。江東区で霊巌寺というのがありますが、江東区を語るには一番大事な寺かなと思っています。もともとは中央区の新川にありました。いまでも霊巌寺橋というのが残っています。江戸時代は結構火事が多かったんですね。それでいろいろなものが移転しています。霊巌寺もそうです。
その時の火事を振袖火事といいますが、江戸の街はそれを境にして大きく変わっていきます。江東区の始まりはこの振袖火事がなければありえなかったと言い切れるくらいです。
先ほどの霊巌寺ですが、新川は隅田川の向こうですよね。富岡八幡の氏子もここらへんの永代橋を越えたところまで入っていますね。霊巌寺は富岡八幡ともゆかりがあったからなんです。
現在の霊巌寺のあたりの三好とか平野は寺が多いのですが、霊巌寺があったから寺町として栄えたのではないかと思っています。松平定信のお墓もありますね。新川にあったときも松平家の力で栄えていたようです。

●交通●

大江戸線が開通しまして、大江戸線の清澄白河という駅があるんですが、大江戸線は環状線と言われていますが実はここが終点ですよね。
なんでこの駅がと思ったことはありせんか?ここらへんだと門前仲町とか両国とか大きな駅があってそこら辺りを終点にしたほうがいいんじゃないかと思いますよね。なぜか清澄白河なんです。実は木場公園がキーポイントなんです。山手線の大崎と同じ理由です。大崎に山手線の車庫がありますよね。大江戸線の車庫は木場公園の下にあるんです。
船の話をしましょう。同じ江東区でも臨海副都心は行くのは不便ですね。大江戸線開通で少しはよくなりましたけどね。実は江東区は船を使うと結構便利です。パレットタウンなんかへも行かれますね。ただちょっと高いのでお勧めできませんが。乗り換えるのが嫌だとか風に吹かれてロマンチックに浸りたいときはいいです。ここらへんでは、東京水辺ラインと東京都観光船の水上バスが出ています。
江東区を結ぶ東西の路線はあったのですが南北の線が今までなかった。それを結んだのが大江戸線。これが通ることによってだいぶ楽になったんですけど、今年また新たに半蔵門線が通りますのでまた便利になると思います。
墨田区や江東区は東京でも唯一道路がきれいな碁盤の目になっています。こんなきれいな碁盤の目はないですね。江戸時代、囲碁の名人で本因坊秀策という人がこのあたりにいたのですが、そのせいか、なんかやたらと道路が碁盤のように見えるのですが僕だけでしょうか。

●くらし●
区ごとにポリシーというのがあるように思えます。例えば墨田区は音楽を活性化させたい区。両国の国技館では毎年第九をやります。錦糸町にトリフォニーホールというのがありますが、日本有数の設備です。小澤征爾さんの率いる新日本フィルハーモニー交響楽団の本拠地になっています。江東区は文化を活性化させるという区のようで、文化センターが多いです。催し物も多いです。会議室なども使えますし音楽スタジオや茶室などがあるものあります。
古石場文化センターは映画なんかもやっていて、随分と楽しめるようです。
すみません時間になってしまったようで。
■質問タイム

元八幡通りというのがあるんですが何故ですか?
富岡八幡宮の元は砂町にある富賀岡八幡宮だったという説があります。詳しくはしりませんが、それを移転して富岡八幡宮ができたんではないでしょうか。そういう訳で富賀岡八幡宮を元八幡と呼びます。富賀岡八幡宮の前を通る通りが元八幡通りです。さっき少し言いましたが、氏子や氏神様というのは山の手のほうにはあまり意識がありませんが、下町は強いですね。富賀岡も富岡とは一つ違う意味で氏子としてのプライドがあるようです。
〜〜休憩〜〜
■ベーゴマ大会

下町情緒を体感!
参加者全員がベーゴマを廻して盛り上がりました。

(2003年2月13日収録)要約文責:室井朝子