江東活學大學

第15回

<プロフィール>
日本キリスト教婦人矯風会『女性の家HELP』ディレクター
内閣府の女性に対する暴力に関する専門調査会委員。大阪府出身。
主な著書『出版倫理とアジア女性の人権』
『女性の家HELP』は朝日新聞社、朝日社会福祉賞受賞(2002年度)
『『女性の家HELP』の活動から』
大津 恵子さん

講演

●性産業と人身売買●
樹皆さんは日本キリスト教婦人矯風会というのを聞かれたことがありますでしょうか。矯風会というのは明治の時代から廃娼運動や女性の参政権の獲得、そして売春防止法の制定のために奔走した活動団体です。現在は平和の問題や女性の人権、お酒と煙草の害の問題を三つの柱として活動しています。設立して117年ですが女性を保護するためにも同年の記念事案として女性の家HELPを設立いたしました。
矯風会というのは女性の福祉事業を長くやってまいりました。慈愛寮と言いまして、出産の3ヶ月くらい前から入ることができ、病院で出産してからもまたその寮に入ることが出来るものです。
女性の家HELPは国籍を問いません。女性と子供が入ることができる施設です。2年前にはステップハウスというのができまして、緊急避難からから長期に入ることができる自立のための寮です。ただしここは単身者の方のみで6ヶ月入所できます。HELPは女性と子供が安心して避難できる場所のことです。Hはハウス、Eはイマジネーション、Lはラブ、Pはピース、平和。愛と平和のある緊急避難所という意味です。緊急避難所の中に愛と平和がなければただの宿泊施設ですから、女性の家HELPは安心して逃げ込むことができるというところ意味でHELPと名づけられました。
設立して10年間はタイの方がたくさん入ってきました。それからフィリピン。最近はコロンビアの人たちが増えて来ています。1980年前半というのはフィリピンの人たちが日本にダンサーやシンガーとして入ってきました。ところが日本は単純労働者を受け入れていない国で特別な人にだけビザを与えているのですね。ですから女性でビザがもらえるのはエンターティナー。エンターティナーで入ってくる人たちは本国でオーディションを受けてダンサーになる資格を持って日本に来ているのですね。
ところが日本という国はそういう女性たちをキャバレーやストリップ劇場などの性産業に送り出していますから、そこで性被害にあった女性がHELPの家に逃げて来ていました。
1980年代の後半になると今度はタイの女性たちがたくさん入ってきました。タイの女性たちはエンターティナーのビザなど無くて短期滞在の観光ビザで入ってきて、騙されて全国に送り込まれています。それが人身売買なのですね。あとでビデオを観ていただきますが、日本に行けばタイにいるより数十倍のお金が得られる、と女性の多くはだまされて連れてこられて、ブローカーや組織犯罪である人たちによって、売春婦として売られて行くという状況があるのですね。
そしてそこで架空の借金、今でしたら500万円くらいの借金があることにさせられて地方のスナックやバーに送り込まれて、管理売春をさせられていくのですね。嫌だといえば殴る蹴る。本当は何も借金などないのですが女性たちは我慢するしかないと思ってしまうのですね。そして暴力を受けます。暴力でコントロールされているので逃げることができなくなってしまうのですね。
それでも決断をして逃げてくる、大使館や警察を通してHELPに来ます。女性の家HELPの電話番号は先輩たちが何かあったらここに行きなさいと書き残してあったものです。それでたどり着いた人が多かったのですが、今は大使館がサポートをしていますのでそこを通して避難してきます。

●DV防止その世界的な歩み●
アメリカの国務省が人身売買について調査をしました。三つのランクに分けました。一番上のランクの人たちは、昨年の例で言いますと、ヨーロッパの先進諸国を中心に18カ国がAランクですね。Bランクに日本が入っているのです。Cランクはサウジアラビア、イランなど中東のイスラム諸国、ロシア、インド、インドネシアなど53カ国。どういうところが違うのかというと、人身売買、売春や強制労働を阻止する取り組みをしている国に対してはAランクなんですね。そして私たちは最大の受入国でありながら何にも対策を立てなかった。しかしながらODAなどお金をたくさん出しているのでBランクということで、もしいろいろな対策をしない、2003年以降の報告で第三類に指定された国は人道部門や貿易などを除く分野で米国からの支援停止という制裁措置をとるというのですね。しかしランク付けの中にアメリカ人は入っていない。
アメリカも人身売買に関しては禁止の法律を作りました。そして、その背後にいるマフィアに対しては徹底的な措置をとるといっております。そういうもが出されたが日本の政府は人身売買に対して何を考えているのか。
私たちHELPはこの17年間、その女性たちと子供たちを保護してきました。やっと人身売買のことについて、組織犯罪防止条約というのが国連の中で出され、今年日本は批准しました。それに補完する「子供と女性の人身売買に関する議定書」が出てきました。昨年7月にニューヨークでもたれた「女性差別撤廃条約」の委員会においてもマイノリティ女性の問題外国籍のDV、人身売買のとりくみがなされていないと指摘され、やっとはじめて日本も人身売買のことについて取り組まなければならないと思い始めたんです。
HELPは長くその人身売買の犠牲の女性たち受け入れてきた国ですから、警察には訴える、もういろいろなところでこの問題を訴えてきたのですね。国は国会議員もそうですがこれが出てきたときに何と言ったかと言うと、日本は人身売買などありませんと言ったのですね。しかしながらあの80年代の後半から92年頃まで各地で、タイ人女性がタイ人ママさんやシンガポールママさんを殺した事件が10数件起きているのですね。
一つ紹介しますが千葉の市原で殺された事件がありました。田舎の小さな町のスナックで起きた事件です。ここで働いていた5人の女性がママさんを殺しました。何故殺したかというと、殺さないと自分たちがいつ殺されるかわからない状況だったのですね。ママさん自身も殺した女性たちと同じように過去にアジアの国から連れてこられて働かされていた人。今度は自分が日本人男性の妻や紐となって同じアジアの人をあごで使い支配しました。
借金を課せられていますから、その間はどんなに働いてもママさんの所に収入は行くわけですよ。買い物に行くのにも誰かがついていって管理体制の中にあった。お金も自由に持たされていなくて本当に少ないお金の中でラーメンを食べるとか、満足に食べられない暮らしをしていた。時々お客さんから貰うチップでその女性たちは過ごしていたわけです。私は裁判を傍聴し、この女性たちの面会に拘置所に行きました。
まだ白とも黒ともついていない女性たちは殺人犯という扱いを受けるわけです。裁判の中で出てきたのはブローカーたちでした。裁判の中で、ブローカーのやくざたちは、女性たちは怖がっていたけれども、自分は暴力は振るっていないと証言したわけです。で、あなたたちはどのくらいの女性たちを斡旋して、いろいろなところに送っていましたかというと、もう何百人という人たちを送っているわけですよ。送るたびごとに一人当たり100万円くらい入ってくるわけですよ。
どうやってその女性たちを脅していたかというと、自分のベルトを出して机に向かって叩いた。バシッ!という音がしますよね。それで女性たちは震え上がったと。やくざの人たちはどのように女性を脅かすのか心得た人たちですから。それからこの殺されたママさんはどのようにこの女性たちを扱っていたかというと、女性たちは毎日5人から6人の男性たちに売春をしていた。朝の6時頃から起こして家の掃除。全てピカピカになるくらい掃除をさせた。病気、熱で休みたいときは一日の罰金が2万3万とその女性たちに課せられていた。そして、店が終わって帰ってくると女性たちの住んでいる庭の穴掘りをさせた。なぜか。女性たちの証言では無意味な穴掘りだった。掘っては埋めて。女性たちが逃げないようにくたくたにさせるためだった。逃げたらタイの両親を殺すとまで。そのような扱い方をしたので、逃げることもできなかった。でもこれ以上我慢した自分たちが殺されると思いママさんを殺した。
「ハンドインハンドちば」というのは教会の牧師と教会員の女性たちが主になって立ち上げたのですが、その牧師が証言の中で「その刑を管理売春、人身売買を肯定した論告というので、1998年5月20日AさんとBさんに対する女性検事の論告要旨は我々の支援をからかうような、さらには二人の人格を無視した全くひどいものでありました。380万円の借金を課せられたことは、この種の売春婦兼ホステスとして稼動する者たちにとっては、当初から覚悟していたものであり、被告等は予想外に人身売買の客体となったゆえ、意思に反して売春を強いられていたわけではない。被告らは監禁といえるほどの深刻な身柄の拘禁状態にあったとはいえないので、周りの管理が限度を越えて被告人らの人格を無視するまでには過酷であったとは言いがたい」。
パスポートを取り上げ裸の写真を撮り、ビデオカメラで監視し、逃げればマフィアに捕らえられると脅し、夜通し客にサービスすることを強制したことが法廷で明らかにされたにもかかわらず、殺人に対して懲役10年を求刑したというものです。
ですからこの当時本当に人身売買の被害があっちこっちで起こったにもかかわらず、通訳者というものが警察の段階から準備されておらず、そして裁判の中でも通訳者の問題が大きくこの頃から出てきました。この事件を発端にして、この殺人事件をサポートした全国にある人たちが外国籍の女性の支援のグループになって行ったわけです。それが今移住労働者と連絡する全国ネットワークという団体を作りまして、現在全国に80箇所あります。

●今HELPでは●
未だに年間20人近いタイ女性、それから中南米の女性たちがHELPに逃げ込んでいます。
今HELPのシェルターの中には人身売買の人、夫からの暴力を受けた人の子供、それからホームレスの人、メンタル的な問題を持った人たちが来ています。外国籍の女性は日本男性と知り合い結婚して家庭を作り今度はブローカーではなく夫からの暴力で逃げてきています。夫の暴力の中にまた管理があるわけです。暴力はコントロールと力の関係があるといわれているのですが、外国籍の女性たちの多くは文化的な暴力、例えばタイ語をしゃべってはならない、タイの料理を作ってはならない。本国の家には電話をしてはならない。民族差別と女性差別ですね。それが外国籍の人たちの問題なのです。
夫の暴力があって、警察に来てもらっている。逃げようと思うのだが助けて欲しい。HELPにいけるようにして欲しいと言う電話です。状況を聞いたら、警察は夫の言うことしか聴かなかった、と。
夫が「もう落ち着いているからもう何もないです」と言う。警察官は帰ろうとする。彼女はそれを阻止する。警察が帰ったら今度は彼女が殺されるかもわからないと思ったから子ども共々警察に連れて行って欲しいと頼んだ。車は彼女が乗れないようにナンバープレートがはずしてある。必死でうったえて連れて行ってもらった。警察で泊めてくださいといったら、帰るか旅館に泊まるしかないといわれた。それなら旅館に連れていってくださいと言った。夫には連絡をしないでくださいと言ったのに次の日に旅館のおかみさんから夫から電話があったと言われた。誰が連絡?警察しかないわけですよ。
私たちはその女性をやっとHELPに連れてきたわけですが、やっと逃げて怪我はしているあざはある、でも警察からは「夫と結婚しているから日本にいられるんだろう。だから家に帰りなさい」と言われて人たちが何組もいます。
2001年になってやっとこのDV防止法が施行され、保護命令、2002年に全面施行されたのですね。アメリカではもう20年位前にできているのですが。
法律の前文に「配偶者からの暴力は犯罪行為となる」ということがあります。
本当は配偶者だけでなく妻や恋人ということにもして欲しかったのですが。調査の結果は9割以上が夫からの暴力で5人に一人が暴力を受け、20人に一人が死ぬくらいの暴力を受けている。犯罪行為であるにもかかわらず被害者を救済することが行われてこなかった。それをやっと国が認めた。
今までは売春防止法によって、女性相談所が全国に義務設置されていました。でもこの法律ができたことによって、配偶者支援センターというものが設置されるようになりました。保護命令の制度には女性の被害者には6ヶ月の接見禁止、立ち退き命令を裁判所に出すことができる。しかしこの保護命令はあまり活用されていません。調書が私たちのような民間シェルターでは書けないからです。裁判所に出してから保護命令が出るまでに約10日間もかかって実効性もありませんので、もう少し簡単に出せるものをという見直しで、訴えています。暴力の定義も身体的なものから心身にと書き換えて欲しいことも提唱しています。
東北大学の先生が「何故男は暴力を選ぶのか」という本を書かれました。夫たちはついカットなってとかお酒を飲んでいたからとか、会社で上手くいかないとかの言い訳をするけれども暴力はちゃんと選んでいるのだと、たとえば会社ではいい会社員であります。お酒を飲んでいるからと言ってその時は暴力を振るっていない。それはこのときに暴力を振るったら妻はいうことをきくから選んで振るっているのだと。その通りなんですね。
HELPに入った相談電話は外国籍の方などは地域の支援センターや福祉事務所につなぎます。HELPのあとに自立がありますから地域の支援が必要になるのからです。

以上です。ご静聴ありがとうございました。

(2003年12月11日収録)文責:室井朝子