江東活學大學

第1回

<プロフィール>
故五代目柳家小さん一門。洗練された言葉のセンス、美しい所作、綿密な人物描写に定評あり。文化庁芸術祭賞、浅草演芸大賞新人賞他多数受賞。2000年秋フランス・パリ市主催の世界の話芸を集めたフェスティバルに、日本代表として翻訳無しの落語を演じて好評を得る。弟子7名。趣味:剣道、スキー、料理、演劇鑑賞。日本舞踊藤間流名取
『 落語 』
噺家
柳家さん喬師匠

■記念講演

落語2席

『幾世餅』・『死神』
■質問タイム

Q、 現代でない世界を構築ですが、それを今、どのように活用したらいいのでしょうか
落語は古典の芸とされていますが、いつもその時代時代で生きていますね。
江戸時代に話されたことを古典と言います。今、現代で皆さんが聞いて笑われることは時代的に大きな隔たりがあると思うのですが、それが何十年も語り継がれている間に、その時代に合わせた演出方法で語り継がれてきているわけですね。
ですから私どもが、今の見方、今の物の考え方で、その古典的要素を殺さずに次の時代にいかに伝えていくか、ということが噺家としての使命だと思っています。
演じ方にしましても、昔ですと動いてはいけない、右を見て左を見て、手をひざに置いて言葉だけで表現をしていくのが落語でございました。ところが今は無音と言いまして言葉と言葉の間に音をなくしてしまう手法があります。落語としてはタブーとされている……それをやってみようと思う。

いろんな形でもって演じることによって、今のお客様の反応をみて、また自分の芸に反映していく、そういうことが、時代に生きる演じ方ではないでしょうか。
その中でも、古典落語の非常に理解しがたい言葉や情景を、今の時代でどう越えていくか、作り上げていくかは大きな命題ですね。それが、結果どうなったかということは、私自身にとってみれば死んでからの評価だと思っています。
今やっていることは、相対のお客様がいかに笑ってくださるか、ある種の感動を持って今日お帰り下さるのかということしかなくて、どんなものを積み上げていったかは自分の人生が終わったときに『いや、さん喬という落語家がこういう演じ方で落語をやっていたよ』ということで、後世に残っていくものであれば残っていくのではないかと……。
ですから、今、自分が落語をこのようにやっていきたいのだけれども、さてそれがお客様の直接の評価につながるかということは、私にも分かりません。ただ、自分がこの時代に生きている以上は、この時代に分かる演じ方、そして感動していただくこと、同感いただく中の最大公約数を見つけていくこと、それが自分のやっていくことと思います。

Q 、弟子との年齢差、時代間の相違で困ったことなどありますか?
弟子の若さについていこうと考えたことはないですね。お前たちが俺について来いと。世の中というのは迎合しすぎるとよくないですね。自分のところにいる弟子で一番上は40で一番若いのは22です。その間に18の隔たりがある。まあ私としては一番話しやすいのは40の者にですけどね。ですけども私たちの世界はどうも一般社会と違いまして、上からいろんなことを教えられまして、まあそれが下に降りていくんですが、若いくせに年よりじみたことを好んだりしましてね。若い弟子ったって結構老けてたり(笑)。
ただ、今の若い人は頭だけで理解していく。心を感じていかない。心の部分を押し出していくと納得をしてくれる。テレビなんか余り観ないほうがいいですよ。人間をどんどんばかにしている。いい例が、場面があって音声があるのにさらに字幕が出る。三つの段階を経ないとお前らは分からないだろうと、でも現実に分からなくなって来ているんですね。絵だけを見てそれを想像する世界に持っていこうということができない。人の話を聞いて自分独自の世界を築き上げることができない。活字も読まないから社会を想定することができない。ですから弟子には迎合しない。お前らのほうから寄って来いって。
中学生や高校生に落語をお話しすることがあるのですが、落語を真剣に聞いてくださる。高知県土佐市に女子だけ2000人いる高等学校があるんですけど毎年、行ってます。もういや〜ってくらい女だけ。(笑)。
『心眼』という話、目の見えない人が目が開いた夢を見るんです。お前さんと一緒になりたいって芸者さんにせっつかれて、じゃもうあんな化け物のような女房と別れるって。そこへ夢の中ですけど、女房が出てきて「お前さんと別れるようなことになるなら、お前さんの目が開かないほうがよかった」って言い寄り、首を絞められるんです。あまり苦しいのでもがいていると目が覚めて、やはり盲人だった。で、目が開くように願をかけたけど、もう願掛けはしないって。目が見えないほうが物事がよく見えるから、というのが下げなんですが、その心眼という落語が終わってから高校生が数人楽屋に来ましたね。ナンカ文句言うのかなと思ったら「あの落語の中でお竹さんと呼ばれている女房はすごく醜女と言われているけれど、私たちはきれいだと思う」って言うんです。私はありがとうね、と言いました。「おじさんもね、落語の中では人三化け七って言っているけど本当はきれいな人だと思っているよ。落語というのはね、話を聞いている皆が同じことを想像したでしょ。今まで人の話しを聞いて、同じことを想像したことがありますか?」って聞いたら「なかった」って。それが人の話を聞いて感動するということではないですかって。だからお竹さんがきれいだってことよりも、今日、皆さんが同じ話を聞いて同じように感動してくれた事のほうが大切なことではないかな、と。
そっちのほうに子どもたちは感動したことが大事で、どんどんどんどん自分のほうに手繰り寄せていく気持ちが何か理解してもらえたのではないかと、突き放すのではなく隔たりをもってこちらの近づいてもらうことが、分かってもらえることではないのかなぁ、とそんなことを高校生に落語を聴いてもらいながら感じました。

Q、これから地元での落語はどこでありますか?
それは質問でもなんでもないでしょう(笑)。宣伝有難うございます。
雲光院という江東区の江戸資料館の近くのお寺さんですけれど、そこで年に三回ほど『あおい落語会』というのを開いています。よろしかったらどうぞきてください。

Q、お料理は何が得ですか?
また変な質問ですね。実は私の実家は墨田区本所吾妻橋の交差点の角の洋食屋ですし、私は小さん師匠の内弟子で住み込んでいたので、全般に何でもやりますが、うちの師匠は剣道をやってましたので練習が終わると「オッなんか作れるかい?」と。だけど冷蔵庫を開けると何もないですよ、しなびた葱と卵くらい。で、玉とじみたいなのを作る。オッうまいじゃねぇかって。また別の日に、おいこの間の作れって。そう言たって、そうしなびた葱があるわけじゃないですからね(笑)。同じのは作れないですよ。
うちの師匠は生野菜が余り好きじゃないから食べさせようと思って、レタスもパリッと、キウリ尖らせて、トマトもかっこよく切って、うどん粉の中に卵とか肉とか入れて焼いてサラダと一緒に、どーだー!って出したら、師匠は「朝からこんなもの食えるか!」って。何の労も報われなかったですね。はい。

Q、最近の言葉についてどう思われますか
筑波大の講師も頼まれて行ってます、外国の人にね。外国の人はよく聞いてくれますね。ただ日本語の言葉自体が乱れているので困りますね。
ファミレスなど、注文聞いといて「これでよかったでしょうか?」いいつうの。コーヒーを持ってきて「コーヒーになります」。元はなんだったんだよって(笑)。
落語などは江戸弁が多いので、正しい日本語と言っても少し難しい部類に入るかもしれませんが、落語や歌舞伎の世界にしか正しい日本語が残っていかないのではないかと憂えます。そんなわけで、小学校、中学校、高校、大學、お呼びいただければどこへでも行きますね。幼稚園はちょっと無理ですが。
江戸弁は江戸城開場してからの新しい言葉なんですね。全国津々浦々から集まってきた江戸の庶民がお互いに理解しやすいように変化させて300年の間に使い込んできたのが江戸弁で、言い方悪いかもしれませんが、寄り集まった田舎弁が変化していったもので、津軽弁や鹿児島弁などと比べると非常に肩身の狭いものなんですね。ところが文化とは面白いもので江戸の文化は人気があって、江戸弁を使うことがトレンディになったんです。
落語の世界だけに残る江戸弁ではなく、国語の時間などに江戸弁の時間なんかがあって、先生と生徒が「てやんでぇ」なんて言いあってるといいんですけどね。まっつぐ行って右に曲がるって言いますね。だけど柱はまっつぐ立てるとは言わない。それはまっすぐ、どちらも江戸弁、いいですね。由緒ある深川辺りで江戸弁をしっかり守っていってもらいたいと思いますね。

(2002年・9月収録) 要約文責:室井朝子