下町探偵団ロゴ
下町探偵団ハンコ


トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク

下町の顔
FACE

第18回
『遡上の夢4半世紀』

<プロフィール>
北海道生まれ。3歳で東京に。高等小学校卒業後コーヒー豆卸業に小僧にいく。その後立川飛行機に就職。兵隊検査で満州に。戦後復職するも会社は解散。以後家業を継ぐ。株式会社 柳澤硝子店会長。子供3人。孫5人。玄孫1人。85歳。江東区清澄在住。
隅田川鮭の会 会長
柳澤 弘道さん

20年もの間、サケを隅田川に放流し続けている会があるというので訪ねました。
庭先にある小屋の中に数個の水槽。その中に血管まで透けて見えそうな稚ないサケの魚たちが元気に群れていました。きれいです。そしてなおかつ水槽のガラス越しに生き物の持つ命の力が伝わってくるようでした。


1.サケ育成の”小川論”
★隅田川鮭の会が発足したきっかけからうかがいたいと思います。
読売新聞の論説委員の馬場練成さん、彼は多摩川にサケの放流を導入した一番の恩人なんですね。多摩川のそばの野川から水を引いて、大きな水槽を10個も用意して、毎年20万匹も孵化させて。隅田川のほうでは小久保桃江さん(注;下町の顔第9回に登場)が昔からサケに関心があったんですね。で、隅田川でもやろうよって。

コンクリートじゃなかなか戻ってこないよ
★多摩川は20万匹。すごいですね。
いやそのくらい放流しないとね。私たちのように都市河川で放流した場合は10000分の1と言われているんですよ。多摩川で20万放流しても20匹ということになりますね。

★多摩川には戻ってきているのですね。
ええ戻ってきていますよ。多摩川は砂利の浅瀬も多くて環境がいいでしょ。

★隅田川の鮭の会はどのくらい放流しているのですか?
5000匹です。

★5000匹ですか。戻ってくる確率も少なくなりますね。
少ないですけれども、隅田川に戻ってきてほしい夢が今もありますよ。でも今の環境ではまだまだですね。それなので、帰ってくるということは子供たちの夢として残して、今は命を見つめることで孵化を見守ることに重点を置いてね。イクラの粒から目が出たよ、尾が出たよ、稚魚が泳ぎ始めたよという感動をね。

★今の隅田川では戻れない?
隅田川の支流みたいなものが欲しいといっているんです。いわゆる真水のね。4、5年前から運動をしてはいるんです。砂町の下水処理場で水をきれいにした処理水、あれは隅田川にどんどん流してしまっている。だからその流す水を浄水場の敷地内で小川にこしらえてくれってね。その小川で卵を育てるんですよ。
今の隅田川なんてコンクリートで護岸工事でしょ。そして川べりを住民の憩いの場所にしてしまってますよね。堤防作って。素晴らしい遊歩道だけど、そのためには生き物は駄目になるんですよ。船が通ると波が出るでしょ。だから藻もつかなくなっちゃう。藤壺だって石垣にいっぱいくっついていた。川虫もいたでしょ。川っぷちにね。そういうものがいなくなっちゃった。昔は葦もあって泥もあって波も消されてね。水辺の生き物が生きていかれた。だから自然に戻そうという運動でやってきましたが、都の考えている設計はそうじゃないわけですよ。市民の憩いの場所にしようということでしょう。かみそり堤防があるでしょう。あれをなるたけ緩傾斜の堤防にしようと。
それでも今やっと官庁と住民とが合意して、上げ潮のときは波が入ってくる場所をこしらえて葦を植えてめだかを放したりして、その遊歩道の中に自然の景観を作ったがごとくに……ねぇ、まあそれでもやらないよりはいいと思いますが、まだまだ程遠いですよ。

★小川論ですか。いいですね。ところでサケは生まれたところに戻ってくるといいますが、柳沢さんのご自宅の水槽で育っている稚魚はどういう風に考えるのでしょうかね。
まあ姑息的なやり方かもしれないけれども、放流前に隅田川のあのしょっぱい水を水槽の中に少しずつ入れてやるんです。それで隅田川の水だよと教えることにしているのです。それくらいでは、なかなかサケの子供が隅田川の水を覚えるところまで行かないかと思いますが……。
だけれども毎年漁師の網にかかるというニュースは新聞に出てくるんですね。市川の手前に三番瀬という干潟になっているところがあるんですが、一昨年、その近くで漁業組合の人たちの網の中にサケが入ったと新聞に出ましたね。すぐに漁業組合に電話して「俺たち、サケの放流をしている会だけれども、そのサケを分けてくれないか」と言ったらね、「いやもうあれは食べちゃったよ」って。たった一匹だけどね。

柳沢さん宅の水槽の稚魚
★はははは、食べちゃった?
そう食べちゃったよって。それでね、今度網に入ったら私どもに譲ってくださいよって、お願いしてあるんだけど、連絡がないんだよね。

★そうですか。それはちょっと残念でしたね。こっちに戻ってくるサケは何か目印があるんですか?
隅田川で放流するのは白サケと言われるものですからね。漁師の網に入るのが白サケならね、帰ってきたと言えるかもしれない。ただ鑑札がついているわけではないですからね(笑)。
昔はサケのひれに標識をつけてやったこともあったらしいですけどね。

★卵はどこから貰ってくるのですか?
岩手県山田町の織笠漁協からです。我々の仲間に岩手県の山田町出身の方がいまして、その方の紹介で戴けるようになりました。

★ところで会ができてから何年になるんですか?今会員数はどのくらいですか?
会ができたのは20年前から。初代の会長さんは小久保さんで、僕が二代目。会員は120名くらいいますね。

★この会員の方々はサケを隅田川に戻すために会員になられたのですか?それとも先ほど言われたように子どもたちに命の教育をということで会員に?
実は鮭の会というのは戦前の子供会活動から始まっているのですよ。各町会ごとに子供会があってそれが基本になっていたんです。清澄庭園で蛍を育てて、蛍狩りをやらせようじゃないかとか、港区に東京タワーがあるからこちらにも作るよう運動してみようじゃないか、とか。その延長線上にサケですね。
今、鮭の会の大きな目的は、サケの飼育を通じて子どもたちに命の尊厳を教えること、そして川の浄化、この二つですね。道徳の本にもサケの話が載りましたね。江東区でも何校か使ってくれてますよ。
でもね、最初の目的のサケが何故帰ってこないのなんて子どもに言われると、本当にね、ごめんって言うしかない。遡上の大きな夢って言われればそれまでだけど、子供は純真だからね。俺たちも一所懸命やって、ここへサケ帰ってきたらいいナァって。

江東区、墨田区、中央区、台東区のネットワークサイト